OMATSURIKOZO's talk salon


ランダムアクセス 1996年 6月 連載110回

低価格レーザープリンターJX9210買いました
PC97でWindowsはマッキントッシュになる


 我らのゴールデンウィークも過ぎ、次の楽しみは夏休みだとつぶやいてしまう全国の労働者諸君、憂鬱の6月をどのようにお過ごしのことでしょう。私のゴールデンウィークは、せっかくのパソコンバージョンアップの好機でもあったわけですが、毎日の宴会騒ぎに紛れ、一時的には愉快、振り返って虚しい毎日を送ってしまいました。「若者よ、日々充実せよ!」と、空元気を叫んで今月も「ランダム・アクセス」を始めましょう。

シャープのレーザープリンターを買いました

 このところパソコン不調の私は、なにを試みてもうまくいかない。新しいアイテムを買い込んできては、「また、スカだ」と嘆くこの頃ですが、久しぶりに当たり物に出会いました。この当たり物にしても少々問題があるのですが。それは、シャープのA4レーザープリンターJX−9210です。問題というのは、このプリンターではなく、前のプリンター・エプソンのLPー2000だったわけです。LPー2000の購入からもう4年は経ったでしょうが、私のプリンター使用時間というか使用枚数はきわめて少なく、千枚も印刷してないと思っています。その上感光体とトナーの交換は2度もしているのですから、まったく1枚あたりの印刷単価は高いものについています。どうも、トナーの漏れや感光体の傷が故障の原因なのです。これは私の使い方に問題があるのかもしれませんが、ちょっと多すぎる。昨年の年末に年賀状の印刷をしようとしたとき、はがき印刷をしようとするとうまくかみ込めず、トナーを振りまき、とうとう我が家での印刷を断念してしまいました。このかみこみの悪さはきっと感光体とトナーのセットの仕方が悪いのではと、何回もこのセットの入れ直しを繰り返して印刷したら、感光体に傷を付けたようで、印刷物にゴミというかシミが出てくるようになったのです。感光体を交換しようとするとトナーも込みとなってしまい、2万円以上の出費を覚悟しなくてはならない。最近のレーザープリンターは、定価5〜6万円で、しかも600dpi(LPー2000は300dpi)、これじゃあ買い直した方がマシじゃあないかという誘惑に打ち勝てず、とうとうシャープのJX−9210を買い込んでしまいました。実売価格は45千円でした。持って帰ってセットしてみたところ、設置面積はLPー2000の3分の1、印刷精度は倍。設置面積が小さいのと重量が軽いのが気に入っています。ペイントデータを印刷したところ(当然素敵なねーちゃんの画像データです)、グラデーションの表現がまるっきり違うのです。満足、満足。唯一の欠点は、印刷時の騒音が高いことです。

WPSプリンターの時代

 このところの低価格レーザープリンター(ページ単位で印刷することからページプリンターとも言う)というのは、単純に価格破壊で安くなったと思ったら大間違い、当然戦略価格・量産による低価格というものもありますが、基本的にはハードの構成というか、ソフトとハードの関係が変わってきた関係から低価格化が実現してきたわけです。2年ほど前に、プリンターシステムの大変換というテーマで書いたことがありますが、とうとうシステムが全面的に切り替わってきたようです。現在の低価格ページプリンターのシステムは、WPS(WindowsPrintingSystem)の採用によって、DOSベースのアプリケーションの印刷は考慮しないけれど、Windowsの印刷には長けているというシステムに移行しているのです。機種によっては、DOS窓での印刷は可能というのがありますが(当然こっちの方が高い)、基本的にはWindowsアプリの印刷に特化した製品となっいます。レーザープリンターが登場した当時は、固有のプリンタ言語が幅を利かし、性能の良いプリンターを開発しても、DOSのアプリケーション側がサポートしてくれなかったら宝の持ち腐れ状態が続いていたのですが、ネイティブで解像度の高いページプリンターの性能が発揮されるようになったのはWindowsの普及の結果なのです。これは、色つきのインクジェットプリンターにも言えることなのですが、DOSレベルの印刷とは一線を画した新しい概念なのです。アプリケーションがプリンターをダイレクトに制御するのではなく、OSがプリンターを制御する時代に変わったのです。パソコンの能力が低かった時代においては、印刷をするにおいてもパソコンの力に頼ることができないため、プリンター自身に固有のインテリジェント機能を持たし、プリンターに負担を強いていたのです。ところが、パソコンの能力が飛躍的に上がってきた時、パソコンで処理した印刷イメージを展開して印刷するだけの機能に絞ったプリンターが登場したのです。これは、DOS/Vの登場とよく似ています。パソコン本体の能力が低かった時、漢字ROMというインテリジェンス機能を使って漢字処理を行っていたところ、パソコンの処理能力が向上して、パソコン本体で漢字処理が可能になったという流れに似ているわけです。プリンターは、まだまだDOSの資産を継承しているとはいえ、新しいユーザー、あるいはうまく移行してしまったユーザーは、もうDOSの資産なんて必要ありません。現在のWindows環境で、いかに安く、いかに綺麗に出力できるかだけが問題なのです。こうした単純な要求に対して登場してきたのが、現在のWPS対応のプリンターなのですね。
 おかげでもう300dpiには戻れなくなってしまいましたが、レーザープリンターの悪いところは、機種を買えると印刷の書式を修正し直さないと細かいところで違ってくると言うことなのです。覚悟してたとはいえ、少し困っているところです。

Libretto20登場

 東芝が「ダイナブックの夢よ、再び」と「リブレット」というミニノートパソコンを発売しました。しかも定価がダイナブックと同じ198000円。久々にリキが入った商品の登場です。東芝と言えば、数年に一度ラッキーホームランを放つのですが、持続しないですね、この打線は。デスクトップしかなかった時代、エプソンが98互換ラップトップパソコンを出して、NECも慌ててラップトップを出したと思ったら、いきなり伏兵の東芝がA4サイズノートパソコンを登場させ、ノート戦国時代に突入したのを思い出してしまいました。DOS/Vも、日本IBMがノートパソコンに載せるOSとして開発されたと言うことを考えれば(当時、日本IBMは、デスクトップでは独自仕様で高解像度のハイレゾ漢字を表現していたのですが、ノートパソコンでは解像度の関係でハイレゾ漢字は表現できなかったので、日本の独自仕様から世界標準のDOS/Vに移行したのです)、ダイナブックが日本のパソコン界に与えた影響は凄いものがあったわけです。私が「これからはOSの載ったノートパソコンだ」とばかりダイナブックを購入したときには、値引率も低く、注目のマシンであったのですが、2匹目のどじょうをうまく作り出すNECの戦略に負けてしまい、それ以後泣かず飛ばずが続いていました。

携帯パソコン市場のパイは大きいか?

 今回、長年のダイナブックの名前を捨て、新しい商品名リブレット、ハードの構成、WIN95の搭載、価格設定、いやぁリキ入っていますね。では、売れるのでしょうか。東芝が考えている以上にこの市場は難しいと思います。日本IBMの1kgを切るパームトップパソコンPT110をいち早く購入した私としては、この市場はそろそろ離陸し始めたかなと思っていたら、案外伸びていないのですよ。ヒューレットパッカード社の200LXが注目を浴び、PT110も200LXをかなり意識した作りになっていたわけですが、注目を浴びることと、この市場が成熟しているかどうかと言うことはどうやら別問題のようでしたね。PT110も、発売当時には引く手あまただったのですが、最近では在庫がだぶつき気味らしく、ミニマムセットは10万円を切って投げ売りされたりもしています。どうも、携帯パソコン市場というのは、まだ特殊世界のようです。ノートパソコンもシャープのザウルスも初心者が購入する場合がありますが、携帯パソコンは2台以上パソコンを持っている人たちだけの世界というのが現状でしょう。東芝はそこの事情を承知しているのか、このパソコンを「ミニノート」と位置づけ、あえてパームトップパソコンとは一線を画そうとしているようです。エプソンもモービルPCの試作機を展示会に参考出品しましたが、まだ製品化されないのはこの辺の事情とも関係があるのかも知れません。
 知る人ぞ知るというだけのマイナーな時代から、あっと言う間にメジャーになった2年前のインターネットと同じで、この世界も大化けする可能性は高いのです。特に携帯電話の普及というインフラは、携帯パソコンの可能性を充分に引き出します。久々の東芝の力作に感動しています。金があったらこいつも買いたい!

混乱の中、明日はどっちだ?

 パソコン雑誌が氾濫してきたと先月号に書いたら、たくさんの人も同じような感想を書いていましたね。大阪の大型書店で、パソコンコーナーで立ち読みしていたら、隣に私くらいの年齢の二人連れが「いったいどれを読んだらいいのだ」と話していました。苦笑いがこみ上げてきましたが、田舎に住む友人のひとりは、こっちではまだまだパソコン雑誌は氾濫していませんよとコメントが来ました。ちょっとした本屋に行けばやっぱり溢れ返っていますよ。  この「ランダム・アクセス」を書き始めた当時は、パソコン世界の動きもこんなに百花繚乱の時代ではなかったもので、パソコン選択というか、パソコン世界の動向に対してひとつの考え方を示せると信じていたのですが、あまりの動きの速さと広がりに私も戸惑うばかりです。ゲーセン進ちゃんじゃありませんが、どこかで割り切ってパソコン情報を仕入れるしかありません。286CPUから386CPUに移行する時代においては、386CPUの意味について仲間と話し合ったりしたものですが、最近ではハードの革新的技術の意味なんて考えなくなってきました。単純に速ければいい、なんて気持ちに引きづられ込まれています。その中で、マイクロソフトの新規格”SIPC”が提唱された記事を読んで、ふと立ち止まってしまいました。
 仕事先の事務所で、パソコンの設定がおかしくなったと話していたので、私がCONFIGやAUTOEXECを書き直していたら、パソコンを少しだけ囓り、あまりパソコンを活用しようともしていないある人が、「やっぱりパソコンは家電じゃないよ、ワープロ並にはならなくちゃ」と茶々を入れてきました。うん、それはある意味では当たっているし、ある意味では間違っていると思ったけれど、その場で論争することは止めました。だって、彼とは立っている基盤があまりに違いすぎるからなのです。確かに、最近のパソコンはWIN95やアプリケーションがインストールされてきていますが、ちょっとおかしなコトをすれば動かなくなることも事実です。パソコンに触るのなら少しは勉強しろとは叫びましたが、これも難しいものです。私達好き者がパソコンと遊ぶのは、パソコンの拡張性というか、自在性が面白いからなのですが、単純に仕事に使う人たちにとってみればそんな拡張性などと言う呪文は必要ないわけです。しかし、だからといってパソコンそのものがワープロや家電のような単純機能の製品になってしまったら、私などはパソコンに触ろうとはしなくなるでしょうね。

PC97仕様のパソコンはWindowsマシンのMac化だ

 今、パソコンはインターネット専用機、ゲーム専用機と言った特化の方向と、高性能マルチ化の分化の動きが急速に動き始めてきているようです。これに対するひとつの答えと言うが、WIN95の時にハード仕様を提唱したマイクロソフトがまたまた打ち出した新しいハード仕様”SIPC”(PC97)です。この仕様の特徴は、パソコン本体を完全にブラックボックス化させ、拡張ボードを無くし、家電のように電源を入れるだけで即座に起動するというものです。これじゃあ、ワープロじゃないかという非拡張性の非難に対する回答として、カートリッジ方式の拡張機器や、”USB”(SCSI接続よりもっと簡単な接続方式)などによる周辺機器接続を打ち出し、”素人が簡単に扱えるパソコン”を作ろうとしているわけです。確かにプラグアンドプレイの実現、パソコン本体のクローズド化、OSのROM化、拡張機器の接続方式の単純化等は、ひとつの方向とはなるでしょう。現在のパソコンを批判している人たちも反論できなくなるかも知れません。しかし、どこまで進化するか分からない、いや日々仕様が生まれ潰れ、デフェクトスタンダードを目指して戦い続けているパソコン世界において、このSIPCは技術の平均化を求めるものとなってしまうのか、新しい混乱を引き起こす仕様になるのか、分からない点が多いのです。私が考えるのは、本体を買ってテレビと繋げばそこそこに動く、拡張しようとしたら本体内部には触らずカートリッジや、ひとつの接続ケーブルだけでいもつなぎにして繋ぐマシン。よく考えたら、こりゃWindowsマシンの完全なマッキントッシュ化ではないですか。でも、今日まで98、ATと遊び続けてきた私には、こんなブラックボックス化したパソコンなんてパソコンじゃないと叫んでしまいます。でも、流れは確実にその方向に向かっていくことでしょうね。


祝 Bit&Bite 100回

TOSHI先生、100回号おめでとう。いつも家族で面白く読ませて貰っています。
ちょっと世の中を斜めに見ているところが好きです。頑張って下さい。

100回も 過ぎてしまえば 夢の中


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