OMATSURIKOZO's talk salon


ランダムアクセス 1996年 8月 連載112回

パソコン大衆化時代にパソコンオタクは何を夢見る
ハードディスクが飛んじゃった
災いは忘れた頃にやってくる


  いやぁ、毎日暑い日が続いていますが、皆さんお元気ですか。後少しでルンルンの夏休み。皆さん、夏休みまでの一踏ん張りを決めてみましょう。今年の梅雨はあまり雨が降らなかったせいか、全国的に水不足が不安ですが、せいぜい節水に気を付けて、元気に秋を迎えることにしましょう。

娘も巻き込んじゃえ、というか親ばかか?

 さて、私はと言いますと、二十歳を超えた娘にたぶらかされて、とうとう新しいマシンを買わされてしまいました。パソコン通信にパソコンを利用するという単純な理由ですから、当初は飯山電気のHallow66という、17インチモニター付きの486/66マシンを購入してやるつもりでしたが、注文をかけたときには売り切れてしまっていました。このパソコンは、昨年私が会社で購入したものと同じですが、時代の流れか、当時23万だったものが9.8万円に値下げされ、500台限定の売り切りものだったのです。普及機でさえペンティアム時代、そんなに売り切れるものでは無かろうとタカをくくっていたら、私と同じように17インチモニター(このモニターはなかなかいいのですよ)をねらって買っていったみたいです。「モニターを買ったらパソコンがついてきた」と言える商品で、現在同タイプでペンティアムモデルが発売されています。娘が「やっぱり17インチが欲しい」というもので、モニターは飯山の17インチにしましたが、これの実売7万円、Hallow66の実売9万円、これじゃあやっぱり「逃がした魚は大きい」と思ってしまいます。本体のパソコン、当初はペンティアム100位で充分と思っていたのですが、エレクパの西岡店長に相談していたら、「同じ家に同じ性能のCPUがあっても、グレードアップの時面白くない」と思い始め、とうとうペンティアム166のシステムになってしまいました。

166が20万円、この評価基準が問題だ

 これで20万円ですから、私にとっては安いと思うもの、女房にとっては当初の予算の3倍、驚いてしまったようです。どうも、パソコンに関しては私の金銭感覚はおかしいそうです。家に届いたパソコンセット、娘の部屋にセットできたら彼女のパソコンにもイーサネットカードを組み込み、LANに加えてやろうと4ポートのハブと30mのケーブルまで買い込んできたのですが、彼女の部屋は本やレコード、テレビと山のように重なっていて、17インチモニターが収まるスペースがないのです。おい、さっさと片づけろ!

ハードディスクが飛んじゃった

 実はとうとうハードディスクの中身をとばしてしまったのです。原因は特定できないのですが、たぶん起動ディスクであるCドライブ(1GB)の残量が50KB程度までなっていて、作業領域の不足などでクラッシュしたのかなと思うのですが。パソコンを立ち上げなかった日が数日続いた後、そのパソコンの電源を入れてもWIN95が立ち上がらないのです。おかしいなぁと何度かリセットをかけても同じです。仕方がないのでフロッピーディスクから起動をかけ、Cドライブのファイルを見てみると、あれだけあったディレクトリの数が少ないようです。そこで、SCANDSKをかけけてみると、出るわ出るわ、不良セクタの固まりです。再度、「FD」でファイルを覗いてみると、Windowsディレクトリがなくなっています。「げぇ、げぇ」、「もしかするとあのファイルも」と調べてみると、住職録データだとか、通信のログデータだとか、いろいろなくなっているではないですか。「うーん、これが飛ばすと言うことか」と白くなる頭の中で、感心している自分を見つけていました。

バックアップなんて知らないよ

 昔はバックアップなども取っていましたが、GBの時代になってからは馬鹿馬鹿しくなって止めてしまっていたのです。「プログラムファイルは再インストールすればいいけれど、データだけはバックアップを取っておけ」と、他人には偉そうに言っていたわけですが、まさか、自分がその立場に陥るとは.。昔からよく言われていた、「災いは忘れた頃やってくる」というのは本当です。でも、私の作っていたデータなんてものは、そんな深刻なものでもないし、どこかでさっぱり諦めないとね。

再フォーマットは悲しい

 そこで、頭を切り替え、まだ生き残っているデータだけでもMOにバックアップを取って、WIN95を再インストールすることにしました。フロッピーディスクにシステムを転送し、SCSIカードを認識させ、MOとCD−ROMを認識させるためのCONFIG.SYSを書き換えたり、頭の中では「あれだけ手こずったWIN95を再インストールさせるとどれだけ時間がかかるのかな」とか考えながら、再起動をかけるのですが、なかなかうまくいきません。要は、特殊なSCSIカードを使っていたため、デバイスドライバがうまく認識されてなかったのです。古いデバイスドライバが入っているフロッピーディスクを見つけだし、やっとMOとCD−ROMを認識させることが出来ました。バックアップを取ったら、1GBのハードディスクをフォーマットする番です。5年間ほどのゴミの集積ハードディスクは、破損しているとはいえ、再フォーマットするには何か寂しい思いを感じましたが、「ええぃ、ままよ」とばかりにリターンキーを叩いてしまいました。

WIN95のインストールはあっけなかった

 WIN95の再インストールはあっけないほど簡単にすんでしまいました。3.1からたくさんの資産(?)を引こずりながらバージョンアップした時、あんなにすったもんだしたことが嘘のようです。TOSHI先生のインストールの話を呼んでみても、白紙の状態へのインストールは素直に出来るようですね。グラフィックボードのデバイスドライバは、雑誌の付録の最新のものを入れ、フルカラー1024設定もすんなり終わり、次々にソフトをインストールしましたが、MOやCD−ROMからの読み込みばかりですから、ほとんどの環境はあっという間に出来ました。当然、LAN環境も整備しておかなくてはいけません。こうしてWIN95を再インストールしてみた感想は、「無理に資産を引き継ごうなんて考えず、データだけバックアップして、白紙にして再構成した方がよっぽどすっきりするではないか」というものでした。ひょっとしたら使うかもしれないと、ゴミ箱のように詰め込んでいたハードディスクの内容は実にすっきりしました。実は少し未練もあるのですが...。

パソコン大衆化時代

 昨年から今年にかけて、パソコン大衆化時代がやってきて、パソコンにあまり興味を示さない長男(18)でさえ「父さんの時代が来たね」と言います。「これだけバカでもちょんでもパソコンだ、インターネットだと騒がれると、古くからのユーザーは少々興ざめているんだよ」と答えると、彼の趣味の音楽の方から少し了解したようです。「マイナーな頃に見つけたグループがメジャーになることは嬉しいんだけれど、彼らの良さなんか分かるはずがない連中までがわいわい言い始めるとしゃくなんだ」。どうも、パソコン大衆化時代は新しい局面を迎えたみたいですね。

ICMの倒産も時代の流れか

 先月号で数人の仲間たちが「信頼していた会社だったICMが倒産して残念」といった内容を書いていました。98のハードディスク黎明時代、ICMがハードディスクユーティリティを付けてきたことからハードディスクの普及が始まったとも言えます(DOSの時代のハードディスクの活用は難しいものでしたね)。その会社が、WIN95によるパソコン大衆化時代、反対に取り残され、倒産したという事実は興味深いものを感じてしまいます。森駒さんが「これだけハードか売れている時代になんで?」と書いてありましたが、ひとつの時代が終わり、新しい時代に対応できなかった悲劇はたくさん見てきたではないですか。「CP/M」対「MS−DOS」、「98」対「多社連合」、「松」対「一太郎」等々。DOS/V時代が始まったとき、出射さんが「日本のハードディスクを販売している会社は、外国からベアドライブを買ってきて細工して売っているだけだからいずれ終わるぞ」といっていましたが、その認識をどこまで持っていたのかが問題なのです。確かにICMもディスプレイなどの販売も手がけましたが、あまり成功したとは思えません。どうも腰が入っていなかったようです。Windows3.1時代になってきたとき、EOシステムは役割を終えたと認識すれば良かったのでしょうが、馬鹿な98ユーザーにつきあってEOシステムの延命を図り、時代の流れに取り残されたのでしょう。

のし上がってくるヤツもいるんだよ

 反対に、飯山電気は「安かろう、悪かろう」と悪口を言われながらも、Windows時代にターゲットを定め、17インチモニターで勝負をかけてきました。日本のウサギ小屋に17インチが普及するわけがないなんてことをいっていた人たちが多くいましたが、Windows時代はやっぱりハイレゾ時代なのです。とことんの低価格路線で売り続けた飯山電気のモニターも、今ではなかなかの製品になってきています。現在21インチモニターで個人ユーザーが手に届く価格帯では飯山しかありません。反対にEIZOにブランド統一したナナオですが、高級機種のイメージから普及機まで戦略を広げたとき、普及機を購入したユーザーから「ナナオを買ったのにこんなものだったのか」という失望感が生まれてきています。私に言わせれば、やっぱり値段は値段だよ、と言うことになります。パソコン大衆化時代、どこをターゲットにするかは重要なポイントのようです。

成功体験は足を掬う

 「成功体験に執着するものは生き残れない」という教訓を聞いたことがありますが、パソコン世界の時代の流れの速さはまさにその通りのようです。DOSの時代の強者達が、Windows時代に取り残されそうになったことも同じでしょう。持続する意志の上にある尻の軽さは「軽薄」ではなく、「自由」なのだ。

この時代、迷子のオタクたち

 では、このパソコン大衆化時代における「パソコンオタク」の在り方って言うのはどうなるのでしょうね。実は、これが分からんのですよ。パソコン黎明期の当時からパソコンに関わり続けた人の中で、広がってきたパソコン市場の中に職を見つけた人もたくさんいますが、相変わらず道楽にパソコンをつつき続けている私のようなメンバーは、今何を求めていけばいいのか、分からなくなっているのです。確かに自分の職業の中にパソコンを活用するところも多くありますが、趣味のパソコンと仕事のパソコンは、ちと違う。通常の仕事関係で、パソコンに担わせてもいいなと思うところはたくさん出てきているのですが、みんなを巻き込んでまでの職場のOA化などというものは、「どうせあいつの趣味だ」という陰口のなかに疲れ果ててしまうことが多いのです。各人のレベルがそこそこにあれば、相当な戦力にはなるでしょうが、ワープロと表計算が使えればいいというユーザーさえも皆無な会社で、パソコンを道具に取り込むことは至難です。友人たちの数人がこの間にパソコンを購入しましたが、結局ハードに入っていたソフトさえも満足に使わないうちに埃をかぶっているのを見かけます。パソコン通信でもすれば毎日新しいことを体験しているという錯覚でも生じるのでしょうが、ワープロにしろ表計算にしろ、自分が使わなければ何も生まれないソフトは、曖昧な目的でパソコンを購入したメンバーには意味のないものかもしれません。もう少しお金をかけてモデムでも、FM音源でも購入したらと話しても、その「もう少し」が永遠のような距離のようです。昔はそうゆう新規の友人たちに手取り足取りで教えたものですが、当時パソコンを購入したメンバー達ほどの熱意は現在のユーザーにはありません。10年ほど毎月1回のパソコンクラブを主宰してきましたが、メンバー達の入れ替わりはずいぶんとありました。結婚して顔を出さなくなったメンバー、あまりのパソコン金食い虫についていけなくなったメンバー、パソコンに夢を感じなくなって去ったメンバー、等々いろいろいますが、どうしたわけか新しいメンバーはやっぱり現れてくるのですよ。不思議なものです。こうゆう友人たちとパソコン談義に花を咲かせたり、新しいハードやソフトをつつき廻ったりすることは本当に楽しいのです。うん、そうなんです。パソコンが普及しすぎて、私の方も混乱していたんですね。仕事に活用しなくちゃ時代に乗り遅れるのではとか、新しいパソコンユーザーに教えてあげなくてはとか、つまらない気負いが残っていたから迷っていたのです。

パソコンクラブにはいつも誰かが

 10年ほど毎月1回のパソコンクラブを主宰してきましたが、メンバー達の入れ替わりはずいぶんとありました。結婚して顔を出さなくなったメンバー、あまりのパソコン金食い虫についていけなくなったメンバー、パソコンに夢を感じなくなって去ったメンバー、等々いろいろいますが、どうしたわけか新しいメンバーはやっぱり現れてくるのですよ。不思議なものです。こうゆう友人たちとパソコン談義に花を咲かせたり、新しいハードやソフトをつつき廻ったりすることは本当に楽しいのです。うん、そうなんです。パソコンが普及しすぎて、私の方も混乱していたんですね。仕事に活用しなくちゃ時代に乗り遅れるのではとか、新しいパソコンユーザーに教えてあげなくてはとか、つまらない気負いが残っていたから迷っていたのです。

パソコンはおもちゃだ

 どんな時代になったからと言って、私とパソコンの関係は昔と同じスタンスであればいいのですよ。娘に買ったパソコンも彼女が活用したい範囲で遊ばせればいいのであって、私がごちゃごちゃ言う必要はないのです。ヒントは与えるけれど、彼女自身が自分とパソコンとのスタンスを作ったらいいことなのです。もうパソコン伝道者はやめて、道楽に徹しよう。

あっちこっちから部品を買い込んで、ハードを自分好み
にする喜びはやっぱりたまらないものです。     

システムを 創って壊す 道楽者



returnreturn

ご覧いただき誠にありがとうございました

All Rights Reserved (C) Copyright 1995, ClubOH, PC-CLUB.