OMATSURIKOZO's talk salon


ランダムアクセス 1996年12月 連載116回

車は空を飛べなかったけれど
パソコンは空を飛ぶかもしれないね

ページスキャナーカラーは新しい道具なのだ


 季節はずれの台風が沖縄を襲っているそうです。今年の冬は寒いのやら、暖かいのやらわからないのですが、もう12月なんですね。あれよ、あれよと言っている間に1年が経ってしまうわけです。振り返ってみれば、今年もいろいろあったのですが、それもこれも忘却の中に、うん十年の思い出の中に埋もれてしまっていくようです。とにかく、寒さに負けず師走を乗り切りましょう。

なんだか四方山話が話したくなった

 さて、今年も12月になりましたから1年の総決算をすべきところなのですが、最近のパソコン情勢の動きの速さはあまりにも速く、しかも信じられないほど高機能に進化してきています。そこで、こんなタイトルは少し仰々しかったのですが、「車は空を飛べなかったけれど、パソコンは空を飛び始めるかもしれない」なんてタイトルをつけてしまいました。パソコンが本当に空を飛んだとしてもあまり面白くもありませんが、今年燎原の火のように広まったインターネットはまさしく「空」を飛んだと言っても過言ではないでしょう。

みんなどんどん偉くなる

 私がパソコンに魅せられてからもう15年ほどになります。当時マイクロソフトなんて会社を私は知りませんでした。それは私が無知だったからと言うよりは、マイクロソフト自体がまだ無名だったからです。その会社が今では世界有数の会社になっているわけで、私は未だにしがない一介のパソコンユーザー、うーん、この差はいったいどこにあったのでしょうかね。PDSと呼ばれた、パソコンユーザーが作るプログラム、今ではフリーウェア、シェアウェア、毎月毎月数多く発表されてきていますが、そのプログラムの作者たちは私よりもパソコン歴の短い人たちの方が多いのだと思います。昔、こんなプログラムを作れる人たちはほんの少数でしたが、いまではあまたにいると言うことなのでしょうかね。とすれば、やっぱり私はなにだったのだと、自問してしまう今日この頃ですが、これも年の瀬が物思いを誘ってきたことなのかもしれません。
 ここまで物思いに耽ったことですから、今月は少しパソコン世界の思い出を話してみようと思います。

ハード全盛の時代

 私が最初に購入したパソコンはNECのPC−6001というおもちゃのようなパソコンでした。当時、元祖PC−9801が発売されたかされなかったかという時で、私には8ビットマシンと16ビットマシンの違いさえわかっていませんでした。購入して1週間でPC−8001に買い換えようとしたところ、パソコンショップの店長が「どうせならPC−8801にした方が後悔しませんよ」とアドバイスをくれ、PC−8801を購入したときから泥沼の道が始まったわけです。カセットテープレコーダーが唯一の外部記憶装置、ガーガーピーピーとなる電子音を聞きながら、ゲームソフトをロードしたものです。MZ(シャープ)、FM(富士通)、PC(NEC)が3大潮流。ハドソンが、キャリーラボが、システムソフトが、光栄が、今から思えばおもちゃのようなソフトを作って大金を獲得した時代でもあったわけです。そのとき儲けた金を次の資本にかけ、路線を着実に積み重ねたソフトハウスは生き残り、次世代に移行できなかった会社は消えてしまったというパソコン世界盛衰の最初の厳しさを、傍目で見る私も思い知らされたものでした。この時代は、ハードの時代ともいえます。9801で16ビット時代を一人勝ちしたNECのハードにうまく乗った会社が生き残り、その風に乗り損なった会社が沈んでいったわけです。8ビットハードから16ビットハードの転換期が、パソコンハード会社の死活を賭けた戦いだったわけですが、この転換を本当に理解していた会社はNECだけだったともいえます。8ビットから16ビットへの移行というのは、その後の16ビットから32ビットの移行形態とは異なっていて、CPUの中身が変わり、アプリケーションがまるっきり異次元への転換をしたのです。OSもアプリケーションも大幅に変更されたわけですが、唯一NECだけが表面上の体裁をN−88BASICという、中身はかなり異なっているにもかかわらず表面上は互換性を持たせ、16ビット世界に繋いだわけです。しかも、BASICマシンをうまくMS−DOSマシンへと転向させたNECのPC−9801作戦は、他社のあまたあるマシンをすべて駆逐してしまったのです。

昔も今もパソコンってやつは...

 パソコンのハードの進化は、今思えばずいぶんゆっくりしたものでしたが、当時の私たちは現在と同じく「半年も経たないうちに新しいマシンが登場して」と、歯ぎしりもしたものでした。当時のパソコンの性能差は、ハード性能の少しの差でさえアプリケーションの動作に関わっていたため、現在のハード性能の差以上に大きかったのかもしれません。発売されるソフトの金額は高く、ソフトの発売数もそれほど多くなかったので、パソコンマニアたちの最大の話題は、「ソフトコピー」でした。5インチのフロッピーも1枚1000円ほどする時代でしたが、ソフトコピーに夢中になった時代でもありました。 いや、懐かしい思いがします。

パソコン通信の幕開けと98蜜月時代

 電電公社がNTTに転身した時代、パソコン通信が話題にあがるようになってきました。自宅のマシンがホストのコンピューターに繋がったときの感動は、インターネットに繋がったときの感動以上のものでした。自分だけのパソコンという孤立したものが、電話を通じて外部のパソコンと交信が出来ることに驚いたものでした。300ボーの通信速度はとても鈍いもので、送られてくる文字がすべて読みとれたものでしたが、その読みとれることが、繋がっていることを実感できて嬉しかったものでした。
 こうしたPC−9801時代は、それなりに充実もしていたし、パソコンの進化と共に自分もいると言うことに喜びを感じてはいたのですが、そのうちにPC−9801が日本1国だけの標準であることを知ったのです。その事実は私に驚きを与えましたが、かといって世界標準のIBM−PCを使おうなんて気持ちにならないくらい、私たちはその時のPCー9801を愛していました。パソコンはNECと共にあると固く信じていた時代でしたから。
 その9801の進化が停滞し始めたのです。80386チップから、80486チップへの移行をNECが停滞させたとき、IBM−PCが身近に見えてきたのです。たぶん国内で圧倒的なシェアを獲得したNECは、ハードの進化を好まなくなっていたのでしょう。DOS/VというIBM−PC上で走る日本語MS−DOSを発表した日本IBMも、当時はそれで国内を二分するパソコン勢力ができあがるとは思ってはいなかったでしょうが、PC−9801の停滞に飽き足らなくなっていたパソコンユーザーたちは、少しずつマッキントッシュに、DOS/Vに移行し始めたのです。ハードの進化の信奉者だったパソコンユーザーたちが、ソフト時代に入ったのだと認識せざるを得なくなったのは皮肉なことですが、DOS/Vの登場のようです。

ハードからソフトが決める時代

 パソコンが生まれた間もないときには、ハードの性能があまりに幼かったため、日本語処理のような高度なものをCPU自体に任せることが出来なかったわけですが、ハードの進化はそうした高度な処理さえCPUに担わせることが出来るようになっていたのです。つい2年前、特殊なボードを入れなければ動かなかったMPEG動画も、現在ではCPUとグラフィックチップのソフト処理で実現してしまっている実状を見ると、ソフト技術の進歩はすばらしいものです。9801のMS−DOS時代を出来るだけ長生きさせようと、ハード進化を停滞させていたNECは、DOS/VとWindowsというソフト時代によって脱皮を迫られたわけです。その後のNECのくそ頑張りを見れば、あの時の慢心ぶりが想像できるではないですか。ソフトの王様であるOSの進化が、パソコンのハードを逆規定し始める時代になってきたのです。マイクロソフトが提唱する「PC97」っていうやつこそ、ソフト時代の象徴でしょう
 この12月、WindowsNT4.0の日本語版が登場するわけですが、このOSは、インテル系チップのみならず、PowerPC、アルファなどのRISCチップを搭載したマシンにも載るわけで、ソフトがハードを規定する時代がそこにきているようです。
 私がパソコンに魅せられてからの10数年、パソコンというやつを取り巻く世界は膨張し続け、私が初めてパソコンに触れた時代には想像もつかないところにまでやってきました。パソコンを単なる事務機と思って使っている人たちには、こうしたパソコンの進化はうざったいもののように思えるらしいですが、パソコンをおもちゃのように考えている私のような人間には、非常に愉快なものです。テレビ(ディスプレィ)+パソコン+電話+その他(ビデオ、音、家電)というハードが、OSによって統合されるというのが当面のパソコンの姿なのでしょうが、その先はまだ見えないと言うのが正直なとこでしょう。ひょっとしたらパソコンは本当に空を飛ぶかもしれませんよ。

あまりのマイクロソフトの鼻息にへとへと

 ソフトの時代とはいえ、最近のマイクロソフトの動向はいささか度を超しているのではと思ってしまうのは、私が日本人のせいなのでしょうか。インターネットブラウザであるネットスケープとマイクロソフトエクスプローラの熾烈を極める戦いは、インターネットの普及を早めた効果があったわけですが、「そこまでするか」と思わず呟いてしまいました。エクセルで123を叩き、NTでNETWAREを叩き、じわじわとライバル会社を追いつめていくマイクロソフトを見ていると、あまりに強くなり過ぎた猫に誰も鈴をつけられなくなるのではと、少々恐ろしいものに思えてきます。あくまでビジネスですから、ユーザーによりよいものを安く供給してくれさえすればいい、というものの、ここまでパソコンソフトをOSからアプリケーションまで握ってしまうと、背筋に寒いものを感じてしまいます。そのマイクロソフトがとうとう「一太郎」に挑戦状をたたきつけました。「一太郎7」のパフォーマンスについては、マイクロソフト社の言い分にも一理あることはあるのですが、パソコン雑誌に載る比較広告と、「2年間のうちに一太郎のシェアを奪う、出来なければ5年かけてもやる」と宣言には驚いてしまいました。Windows時代になって、日本のソフト会社が次々に淘汰され、勢いを持続させている希少な会社もマイクロソフトのばく進の前にどうなるのだろうと杞憂しています。もっとも、自民党、NECと同じように、都市部では野党勢力がいくら強くなろうと、地方でしっかり根を下ろしてしまっているのかもしれませんから、私が思うほどのことはないのかもしれませんがね。いつの間にかジャストシステムに肩入れしている自分を見つけ、私の判官贔屓の対象の移り変わりに驚いています(数年前、ジャストシステムは判官贔屓の敵役だったのですよ)。それほどパソコン世界の激動は凄いものなのでしょう。

パソコン世界の攻防に唖然

 ソフトバンク、カテナに続くソフト供給会社であったソフトウェアジャパンが倒産しました。昨年から今年にかけて、パソコン販売の盛況さはマスコミを通じて盛んに喧伝されていますが、パソコン業界の厳しさは盛況さの裏側で相当なもののようです。ある業者はぼろ儲け、ある業者は青色吐息、まさに天国と地獄が同居しているような形相です。本当にこの業界で生活してなくてよかったなとも思ってしまいます。可能性という言葉は、不可能性と言うことを実感させてしまいます。

ページスキャンカラーは面白い

 さて、先月号でお話ししていたロジクールのページスキャンカラーが入りました。フラットタイプのカラースキャナーがたくさん発売されて、値段もこなれてきているので、なぜページスキャンなのかという疑問があるかもしれません。1年ほど前から、卓上の小型のページスキャンというジャンルが生まれ、そのスキャナーには必ずOCR+FAX+コピーというソフトがついているのです。1枚の紙をスキャンして、それをそのままプリンターに打ち出してコピーしたり、FAXモデムを通じてFAXしたり、OCRでテキスト文字に変化したりするためのハードソフトなのです。モノクロ版がほとんどでしたが、ロジクールのページスキャンカラーは、フルカラーのスキャンもできると書いてあることから購入を決めました。早速パソコンに繋いで、日本語OCRをやってみたところ、A4のスキャンが10秒ほどで、その文章のテキスト化は30秒ほどで、その速さに驚いてしまいました。テキスト化の精度と言えば、少し問題もありますが、怪しいと思えるところにはブルーの色が付いていて、修正を行うのが非常に簡単になっています。横書きだけでなく、新聞などの縦書きも十分対応しています。うんうん、こりゃ面白いとばかり、表をスキャンしてデータベースに持っていこうとしたのですが、自動認識では文字の固まりを私の思うようには扱ってくれません。このあたりは少しマニュアルを読まないといけないなと思っているところです。おまけの気持ちで求めたカラースキャンですが、これがいい。読みとり速度が速いのです。200ドットでA4を30秒程度で読み込みます。精度的にもなかなかのもので、色の再現性も十分です。スキャナの詳しい人に聞くと、フラットスキャナで主流の600ドットとの違いは印刷には出てくるかもしれないが、ディスプレィ上には出てこないだろう。通常の使い方なら十分満足できるだろうなと言ってくれたので、安心してしまいました。私の好きな中島みゆきの「パラダイスカフェ」のCDタイトルをスキャンして、壁紙にしましたが、綺麗な壁紙になっています。お薦めのハードです。

 WindowsNT、ペンティアムProマシンで
そろそろ導入時期かなとはかっているところです。

 先月書いた選挙の話、大佛先生が昔エッセイで
書いていたそうです。先人はやっぱり偉い。


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