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1998年  7月
連載135回

韓国ソウルに行ってきました
「近くて遠い国」のパソコン事情

CPU戦争、再び苛烈化
とうとうインテルも独禁法提訴


 さて、暑い日が続いていますが、みなさんお元気でしようか。昔から「昔は良かった。近頃の若いヤツは...。最近の天気は異常気象だ」と言うが年寄りの繰り言だと言われていますが、年寄りにはまだなっていない(笑)私も、この暑さには参ってしまいます。まあ、地球というヤツはなかなかしたたかで、少々のトラブルではくたばりそうもありません。先にくたばってしまうのは、その地球の上で大きな顔をして生きている人間様の方でしょうね。

韓国・ソウルの旅


 さて、今月のお話は私の韓国・ソウル旅行です。4月の終わりから5月の始めににオランダに出張した私としては、またもや一応の海外旅行です。前のオランダ旅行は出張とはいえ(今回は本当にかなり仕事をしたのですよ)、社内でのみんなの目は厳しいものがあり、ソウル旅行は内緒で出かけました。金曜日を代休でとって、金・土・日の2泊3日の旅でした。実は、女房はゴミゴミしたアジアの旅というのが嫌いで、夢見るおばさんのヨーロッパ大好き人間だったので、韓国旅行を合意させるのはなかなか大変でした。でも、日本の中で不当に扱われている韓国を旅することは、「もっとも近くてもっとも遠い国」を実感し、正当な評価をするために必要だと話し、合意させたわけです。この旅行を計画した時点ではキャンセル待ちしか無くて、6月か、7月でもいいやと思っていたところ、出発日の1週間前に取れたと連絡が入ったのです。うん、どうしようと一瞬思ったのですが、ホテルが新羅ホテル(知人の話ではもっとも評価の高かった)であるというので無理をして出かけることにしました。
 実際、ヨーロッパなどに行ってるものにとっては、韓国というのは非常に近い国です。私の住んでいる都市から北海道に行くよりも近いのですから、頭の中では了解していても、体験してみるとその近さに驚いてしまいました。着いてみるとハングル文字の羅列の国で、漢字(時々看板には見かける)も英語も通じません。確かに、旅行社の人が連れていってくれたカルビの店では日本語は通じますが、一歩離れて自分たちだけで歩こうとするとハングルの文字の前でうろたえてしまいました。観光ガイダンスの中では漢字で書かれていても、現実のソウルの街ではハングルばかりです。あれは、日本のひらかな・カタカナのようにもので、表音記号でちょっと勉強すればすぐ分かるなどと言いますが、漢字の表意文字の素晴らしさを再確認してしまいました。他国のことですから何とも言えませんが、韓国でも漢字は残しておいて欲しいと思ってしまいました。本当にハングルには戸惑ってしまいました。都市の名前まで全てハングルですから、観光ガイダンスの解釈は、英語で発音を見て、あのハングルの文字の特徴を覚えるという2重の苦しみを味わいました。

今さら思う「近くて遠い国」


 ソウルについて最初に訪れたところは、景福宮です。ソウルには李朝時代にいくつもの宮殿が造られていますが、景福宮は現存する一番大きな宮殿です。訪れたとき、宮殿の中では李朝時代の閲兵の服装の人たちと観光客がごった返していました。ガイドまでが「こんなのは初めて見た、何だろう」と言い出します。「多分、映画などの撮影では?」と私が言うとやっぱりそうでした。彼女の説明がそのエクストラによってリアリティ溢れたものになりました。中国の影響を受けた作りは、奈良・京都の建物を連想させます。異国に来たと言うより、日本の古い都を訪ねたと言った雰囲気です。
 その景福宮のなかに「民俗館」があります。朝鮮の歴史博物館です。その展示物を見ていると、日本の歴史博物館と内容が変わらないのです。「稲作、狩猟、漁業、古い時代には日本も韓国も、東アジアはひとつの世界だったのだ」と言うことを痛感してしまいました。先日、網野善彦氏の「日本社会の歴史」という岩波新書を読んで、古代から中世にかけて東アジアでは海を通じて非常に交流があったと言うことを知りましたが、「あっ、やっぱりな」と感じてしまいました。日本の歴史では6世紀位から文献が残っているわけですが、朝鮮では紀元前からの歴史があると言われています。遠く、大和朝廷時代には朝鮮での戦争で負けた百済の人たちが日本に多くやってきて定住したと言うことですから、本当に兄弟と言って良いのでしょう。街を歩く人たちは、言葉さえ聞かなければ日本人なのか韓国人なのか区別することはできません。

国鉄の旅も楽しい


 次の日には、女房と二人でソウルの街から30キロほど離れたところにある水原(スーウォン)と言う街にある民族村を訪ねてみました。地下鉄と国鉄とタクシーを乗り継いで出かけたわけですが、言葉が通じない国のことですから大変です。チケットの購入法や国鉄の運行状態などは「観光書」を参考に、後は度胸と大きな声です。駅名さえはっきりと英語で叫べば乗車券と特急指定席券を売ってくれました。車中から見える風景はハングルさえなければ日本と同じようなものですが、異様に大きなマンションというか住宅ビルが建ち並んでいて、それがなかなかカラフルな色なので驚いてしまいました。韓国の都市集中の現象が垣間見えます。田舎に入れば日本と同じように田園が広がっていて、田植えが同じように行われています。田舎の住居は現在の日本の同じような地域の住居よりはお粗末ですが、同じような風景に驚いてしまいます。
 水原から民族村へバスで行こうかとも思ったのですが、便が少ないようなのでタクシーで行くことにしました。出発するときにタクシーの運転手が何か色々言っていたのですが、「OK、OK」と言って出発させたところ、到着したときメーターの表示額である7500ウォン(750円)の倍である15000ウォンを要求されてしまいました。ああ、これが最初に言ってたことだなと思い了解したのですが、何か腑に落ちない思いをしました。女房がこんな辺鄙なところまで走ったので往復の運賃を請求されたのだろうと言いました。どうやらこれがこのあたりの日本人向けの通り相場のようで、帰りのタクシーは最初から20000ウォンを要求してきましたが、行きの金額と同じ以上は払えないと言い張ると肩をすくめて仲間連中に「15000ウォンだって」と愚痴って出発しました。それでも、韓国の交通費は非常に安く、タクシーの初乗りは130円、地下鉄の1区間料金が45円、水原までの国鉄料金が400円位と、言ってみればベラボーです。タクシーを乗り回してもそんなに負担にはなりませんが、公共の交通機関に乗るのが私の旅の楽しみのひとつなので、地下鉄なども色々楽しんでみました。
 民族村は非常に広いスペースで、韓国の古い民家や村役場などを移設して設けているところです。英文でちょっとした説明も書かれていますが、日本人観光グループのガイドの説明を盗み聞きしながら、歩いて回りました。オンドル(韓国特有の暖房設備)以外の点では、日本の昔の百姓屋と変わりがありません。どこか沖縄の民家の風景に近いものを感じました。2時間も歩き続けるとくたびれたので、民族村の中の食堂で食事をしました。ここのメニューには日本語のガイドが付いていたので、石焼ビビンバや韓国風のお好み焼きであるパジョンを頂きましたが、食堂では必ず何種類かのキムチが付いてきます。しかし、量が減る度に追加してくれるので、キムチ漬けになったような感じです。しっかりと唐辛子が利いていて、美味しいことは美味しいのですが、あまり量は食べられません。

アジアの町は猥雑で素敵だ


 この日には女房が「垢擦り」も体験したいと言うことで、ホテルに帰ってサウナ・垢擦りも体験しました。夕方から、東大門あたりの市場を歩いてみました。路上では屋台がたくさん立ち並んでいて、多くの人たちがワイワイガヤガヤしながら酒と食事を楽しんでいます。屋台の中には豚足、腸詰め、キムチ、魚、鳥などが並べられて、猥雑でいて活気に溢れています。「ここで飯を食おうか」と女房に尋ねると、「今晩はぜひ宮廷料理を食べるのだから、それはダメ」と言われてしまいました。このあたりは香港の裏通りによく似ています。私はこういう場所が大好きでワクワクしてしまうのですが、女房にはちょっとアクが強すぎたようです。

竜山(ヨンサン)電気街を訪ねる


 最後の日にはやっぱり電気街探索です。観光案内を調べるとソウル駅から少し南に下った竜山(ヨンサン)というところが「ソウルの秋葉原」と言うことなので、地下鉄で出向きました(電気街に近いのは国鉄の駅です)。着いた時間は10時前だったので、路上に小物を広げている店は開店準備中と言ったところで、人通りもそれほどではありませんでした。どこにパソコンショップがあるのか分からないもので、道端に広げられ始めている露天の店を冷やかしながら、大きなビルの中に入り掲示板を見ると、どうやら3階にパソコン関係があるようなので上がってみました。広いビルと思っていたら、何軒ものビルが繋がっているのです。そのビルでは店の数はとても多いのにパーツ関係はあまり扱っていないようで、韓国ではパーツは扱っていないのかとも思ってしまいました。多くの店ではサムソンのパソコンを扱っていて、外国産のパソコンはあまり見かけません(ノートパソコンでは東芝をよく見かけましたが)。ショップメイドのパソコンもかなりありました。どの店も価格を表に表示していません。手に入れたチラシの中にはPentiumUも出ていましたが、一般に店頭に並んでいるのはMMX Pentiumマシンや互換チップマシンばかりです。店の前では呼び込みが盛んに誘っていて、店内では家族ぐるみで商談している風景が見えました。もらったパンフレットの中の価格は、日本の価格とほぼ同じ程度です。韓国の所得から考えると相当高価なのではと思うのですが、かなりのショップが賑わっているところを見れば、この不況にも拘わらずパソコンを求める人たちはやっぱりいるんですね。そのビルを出ると、街の雰囲気はすっかり変わっていました。日曜日と言うこともあるのでしょうが、時間が昼位になると人で溢れかえってきています。他のビルも探索して回っていたところ、パーツや周辺機器を多く扱う店が集まったビルをやっと見つけました。そのビルの中は香港の電脳街とよく似ていますが、コピー品が溢れかえっていると言うほどの悪質な店はあまり見受けられませんでした。ファミコンやスーファミのコピー商品はありましたが、CD−ROMはコピーなのかどうかは見分けられませんでした。パーツ類もかなりたくさんの種類が展示されていて、日本のパソコンショップに負けてはいません。驚いたのはソフトです。とにかく、CD−ROMのソフトは圧倒的に多く、ビデオCDや古いCDソフトは数百円と言ったところで多く並べられていました。店の中だけでなく、路上の屋台店はほとんどソフトの販売露店です。全てハングル文字表示ですから持って帰っても使えません。それでも何か買いたいというスケベ根性に後押しされ、チャップリン初期の作品のビデオCDを何枚か買ってしまいました。全部で1000円ほどです。これって、やっぱり海賊版なんでしょうね。帰って再生してみると、無声映画時代のものでしたが、ハングル文字が時々出てきます。ある店でCD−Rをたくさん置いてあるので価格を尋ねたところ、10枚1300円だと言われました。韓国の方が安いなとは思うものの、買って帰るほどの価格差は感じませんでした。
 先月号で書いたmpman(mp3という圧縮形態で音楽ソフトをメモリに仕舞って、再生する機械)は韓国の製品ですから、電気街では知っている人はいないかと何軒かの店で、しかもパソコン関係と音響関係の店で訊ねたのですが、誰も知っている人とは巡り会えませんでした。持っていったパソコン雑誌でFDと並べて映っているmpmanの写真を見せても、真顔でFDを持ってくるから弱りました。かなりパソコンではマニアックな店だなと思い、店頭に「英語がOK」と書かれている店で訊ねると、「知ってるけど、1ヶ月くらい待たないと手に入らない」と言うことを聞きました。まだまだマイナー中のマイナーな存在のようです。

CPU戦争、さらに加熱


 最近Celeron 266MHzがマニアックな人たちの間で人気を博しています。このCPUは、PentiumUの2次キャッシュを外して廉価にしたものですが、キャッシュがないから遅いという言う不評があったのですが、クロックアップ耐性が強いと言うことで人気になっています。前にも書きましたが、パソコンのクロックアップは、マザーボードのクロックアップと、マザーボードのメインクロックに対するCPUの倍率で決まってきます。Celeron 266MHz(300MHzも出ました)は、マザーボードのクロックが66MHzと言うことになっているにも拘わらず、初期ロットの製品では100MHzでも耐えられ、CPUはその4倍速の400MHzでも稼働すると言うことで注目されているのです。今回、AMDから3D機能を強化した「K6-2」というCPUが発売され、AMDは「インテルを抜いた」と記者会見をしていますが、最近のAMDのCPUはクロックアップ耐性が低いと噂されています。ますますCPU戦争が激化する中、マイクロソフトだけではなくとうとうインテルにも独禁法違反の提訴がかかってきました。
 国家権力がどこまで企業間の自由競争の中に入ってきても良いものかという話は、色々見解もあるでしょうが、来月はそこのところについて語ってみたいと思っています。


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