OMATSURIKOZO's talk salon

ランダムアクセス
2001年8月号
連載172

上海・南京に行って来ました。
パソコンネタはなかったですね。

新しいパソコンネタもないですね。
会社にウィルスが入ってしまった。

 暑い毎日が続いていますが、みなさん如何しています。今年は夏の始まりがとても早く、毎日が真夏日、熱帯夜という日がもう一月以上続いていますから、「早く来い来い、夏休み」と思わず叫んでしまいそうです。小泉構造改革ブームに乗って自民党は躍進、株価は上昇と思われたのですが、株価の方はまたもやどん底に落ち込んできています。かって先物取引で大損してしまった私は、捲土重来とばかり株に手を出していたのですが、どうやらこれも当分塩漬けのようです。10年先が読めないとぼやいていた時がありましたが、今は1年先さえも読めない。今まで通りのやり方を続けていたら会社はじり貧になってしまう、かといって新しいことに手をかけるのは危険だ、といったジレンマの中で、とにかく水の中で溺れてもいいから手足を力一杯動かして見ろ、何回かは水も飲むだろうがその内に泳ぎ方を覚えてくるだろうからと、がむしゃらに頑張ることにしました。

上海・南京出張


 先月から今月にかけて、中国・南京と台湾・台北にともに2泊3日の出張をしてきました。あまりに急な出張が続いたため、思わず「ランダム・アクセス」を落としそうになりましたが、何とか無事仕上げることができました。
 どちらも納めていたところの機械の部品が壊れたので交換部品を持って走ったのですが、同じ中国といっても本土と台湾ではまったく勝手が違います。税関の厳しさが違うのです。上海空港で部品を入れたカバンを持って外に出ようとすると「レントゲンの中を通せ」と云われました。カバンを預けると「中に入っている機械は何だ」と訊ねられ、つたない英語で事情を説明すると「インボイスがないので、これは預かっておく」と取り上げられてしまいました。ちょうどその日は土曜日で、納税額を決めるのは月曜日だというのです。おいおい、今日中に持っていかなければならないから運んできたのに取り上げられたのでは何にもなりません。通関のフロアに旅行者がいなくなったのを見計らい、税関のボスを見つけ交渉をしました。こちらの頭は真っ白ですからまともに英語も出てきません。とにかくこれを今日中に運ばなければならないのだとしぶとく食い下がっていると、端から相手にしてくれなかった相手が少しずつ話を聞いてくれ始めました。「私は税金を払う意志がある」と伝えると、彼は「税金ではなく、デポジットできるか」と云っています。デポジットは聞いたことがある単語なのですが意味が掴めません。カバンの中にしまっていたザウルスを取り出し、彼にスペルを打って貰いました。そのザウルスを見て彼は非常に面白がって仲間と何か言い合っていましたが、私は焦っているものですから気が気ではありません。<deposit:預ける>つまり、供託金が払えるとか聞いていたのです。思わず「OK、OK」と叫んで、供託金の交渉となりました。結局5万円の供託金を置いていくことで部品を持ち込むことができました。

車窓の田園風景


 初めての中国本土、その上に通関での遣り取り、すっかりくたびれたものの南京はまだまだ遠いのです。空港から上海駅までタクシーで約1時間、南京まで列車に乗って3時間少々です。指定席は取って貰っていたのですが、大きな荷物を座席の横に置くことはできないので廊下の隅に置いておくことにしました。列車が走っている間は盗られないだろうが、駅に着いた時にはそのまま持ち出されると大変なことになると、停車のたびに荷物の横に出掛けていく緊張感溢れる旅となりました。中国本土の人たちの服装も顔もみんな日本人と一緒です。普通に座席に腰掛けていると違和感はまったくありませんが、車内販売の品物はああ中国かなと思ってしまいました。お茶とカップラーメンを販売した後、大きなやかんに熱湯を入れて注いでまわってくるのです。上海から南京までの車窓は田園風景が主で、田植えのシーズンです。大勢の人達が一枚の田圃の中で一緒に田植えをしています。私の子供時代を思い出してしまいました。

南京の風景


 南京に着いてから、早速部品を交換して試運転をしたところ問題なく動きます。やれやれ。明日の日曜日、朝一番にはもう一度現場の出掛けましたが、上海向けの列車の時間までには数時間の空白があります。宿泊ホテルのマネージャーにこの時間を利用して南京観光をしたいのだがと英語で相談すると、タクシーをチャーターして南京城門と神社が集まっているところを廻るように薦めてくれました。タクシーの値段も彼が交渉してくれたので、中国語がまるっきり分からない私も助かりました。南京の街は人口700万人ほどで、その日は日曜日のため大変な人出でした。信号は大きな交差点にはあるものの、大勢の人はバスとタクシーが凄いスピードで走っている大きな通りをところ構わず横断しています。横断する人をギリギリで避けながら走るタクシーには驚いてしまいました。おいおい、事故が起こったらどうするのだと呟いてしまいましたが、これが中国本土の実情なんでしょうね。神社がたくさん集まっている孔子廟あたりは店も建ち並んでいてまさに迷路です。手当たり次第に歩いていると道に迷ってしまいましたが、その内に記憶にある通りに出たものですから胸をなで下ろしてしまいました。露天やデパートまであるこの界隈で流行っているものに、デジカメで撮った写真をスターのようにコラージュする店がありました。服装や背景、あるいはスタート一緒に並んだ格好で写真にしてくれる店です。カラープリントで出力するだけでなく、Tシャツにプリントする店もありました。若い女の子だけでなく、解放軍兵士までいたのには驚いてしまいました。店でパソコンを扱っている若い人達の手際の良さに感心しながら散策を続けました。小さなデパートの中にゲーム機の一角がありました。陳列されているのはゲームボーイやスーパーファミコンの系統です。カセットROMは10ゲームとか20ゲームとか入っているやつです。小さな子がおじいさんとおばあさんに連れられてカラーゲームボーイをねだっていました。どこも事情は同じようです。何だろうと頭をひねったのが、6インチほどのモノクロディスプレィとカセットROMを差し込める穴が付いているキーボードです。昔のMSXパソコンのようだが、MSXではなさそうだ。店員に英語で話しかけても通じないので身振り手振りで聞くと、スーパーファミコンの変形のようで、そこで売られているカセットROMが作動することは分かりました。キーボードがあるものの、OSが付いているかどうかは分かりませんでした。それにしてもファミコンシリーズの息の長さに感心してしまいました。

中国の物価は本当に安い


 中国本土の物価はまだまだ安いものです。3時間ほどのタクシーのチャーター料が150元*15円=2250円、スーパーで一番搾りが7元*15円=105円、南京−上海の特急指定料金が86元*15円=1290円と云ったもので、観光をするにはとても手ごろな価格だなと感心してしまいました。女房を連れて再度行って見ようと思ってしまいました。

英語はやはり共通語


 さて、帰りの飛行機に乗る前にしなくてはならないことがあります。預けていた供託金を返して貰わなければなりません。満足に英語も使えない私ひとりで交渉できるのかどうか不安でしたが、とにかくやってみないことには前に進めません。供託金を預かっているという証明書を持って税関を訊ねると、これの書類の関係はあっちだこっちだとたらい回しにされます。空港には出発4時間前に着きましたから時間はたっぷりとあります。辛抱強く交渉するしか方法がありません。一度「分かった。物を見せろ」と云われ、カバンを開けて交換してきた部品を見せたところ、書類にサインをしてくれたものの、それからどこに行けば供託金を返してくれるのかを教えてくれません。再度部屋に入っていって話しかけると大儀そうに手を振って追い返されてしまいました。うーん困った。とにかく部屋の外でじっと待つことにしました。よそからやってきた税関員と思われる女性が怪訝そうな顔で私を見るので、書類を見せながら英語で「この後どうしたらいいのでしょう」と云うと、彼女は書類を持って担当者と話してくれました。その後彼女が「付いてこい」というので後ろを追いかけると、鍵の掛かった部屋に案内され、再度カバンの中の物を確認してサインを要求されました。無事5万円を返して貰うことができました。思えば4年ほど前、フランクフルトの空港でバーバリーのコートの関税1,5万円を言葉が通じないばかりに取り返せなかった苦い思い出が蘇ってきました。今の私の英語もほとんど単語の羅列に過ぎないとはいえ、あの時今くらい喋れていたら多分取り返せていただろうと、この間の私の英語独学を自分で誉めてやることにしました。

台北出張は慌しかった


 ひと月も経たないうちに今度は台湾・台北への出張の話が来ました。前回の経験があるので又税関でひと揉めあるかと気を揉んでいたのですが、台湾では何もありません。自由時間が取れたら前回訊ねた電脳街にも顔を出してみようと考えていましたが、これはまったく当てが外れてしまいました。台北について日曜日は夜遅くだったため、外に出ることもなく、まともな食事をすることもなく寝てしまいました。次の月曜日には仕事がうまく運ばなかったためとうとう夜の12時まで現場で過ごしたため、コンビニエンスストアでカップラーメンを買って帰るだけ。火曜日には午前中現場に行き、時間ギリギリに慌てて空港まで走ると言った有様で、電脳街どころか満足な中華料理さえ口に入らず帰国してしまいました。もっとも台湾は昨年訊ねたばかりでしたからそんなに残念とは思わなかったのですが、少しばかり残念。

ウィルスを入れてしまった
インターネットの影と光


 というように仕事に忙しいこのところの私の生活の中でパソコンの新しい動きというのはちょっと遠いものがあります。そのなかで参ったことが出たのが会社に入ってきたウィルスです。
 ある日、私が出張先から会社に電話を入れると「会社のパソコンにウィルスが入ってしまったようです。勝手にメールをよそに発信しているようです」と若い社員が云います。「どういう経過なのだ」と聞いてもなかなか要領を得ません。私の家のパソコンには会社に入ってくるメールを全て転送するようにしていますから、私の家にも同じメールが入っているはずです。「とりあえず、電話とパソコンを切って、送信した相手先に連絡を入れること。ウィルス駆除ソフトを探して退治すること」と指示を出しましたが、内容が見えないことには話になりません。少し早めに帰宅してパソコンを起動させます。メールソフトであるOutlook Expressを立ち上げてみるとノートンユーティリティが「ウイルスの入ったメールが届いているので駆除しますか」と聞いてきます。当然駆除したわけですが、どこからどんな形で入ってきたのか調べなくてはなりません。送信元の名前は聞いたことがあるものの私の記憶では特定ができません。しかしそのメールに添付ファイルがあって、それを走らせるとウィルスに罹ってしまうようです。会社のパソコンには今ウィルス駆除ソフトを入れていませんでした。若い社員が何気なくその添付ソフトを走らせてしまったら、Outlookのアドレス帳を見つけて取引先のアドレスにウィルスを乗せて発信してしまったようです。ウィルスの名前はW32Magistr24876@mmというものらしく、インターネットで検索してみると新種ウィルスとして登録されていました。社内でもそのサイトは見つけたようで、ヘタにメールで知らせてしまうよりはFAXで連絡を入れた方がいいかも知れないと相手先にFAXを送っていたようです。家でお詫びと対策を書いたメールを書き上げ会社に送り、それをアドレス帳全部にBCCで送るように指示しました。海外にも送られているので、英文でお詫びと対策を作りましたが、英文で作っているホームページを探さなくてはなりません。まったく人騒がせなウィルスです。仕事で使っているマシンに繋がっているアドレス帳ですから、それがどんな風に蔓延してシステムを壊してしまったらと不安でしたが、幸いなことに大きな問題になることはありませんでした。会社に連絡を入れてみると、ウイルス駆除ソフトを走らせた後、ウィルス検索ソフトでパソコンを検索してみるとまだ消えていないファイルがたくさん出てきたというのです。ファイル名をプリントアウトして手動で削除してしまうと云っていたので、それがいいだろうと言いました。送ってきた人について聞いてみると、社員のひとりと面識のある役所の人だと言いますから、「失礼にならないように、連絡だけは入れておくように」と指示しました。彼は気が付いていたのかどうかは分かりませんが、アドレス帳を検索して勝手にウィルスを送信・増殖するソフトというのは本当に怖いものです。送られてきたのもインターネットを通じて、駆除ソフトをダウンロードできたのもインターネット、なんとも複雑な思いです。ウィルスを甘くみていた私の失敗でしょう。早速会社のパソコンにもノートンユーティリティを導入することにしました。


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