パソコンネタがないもので
今月はギリシャ旅行です
お祭り小僧のランダム・アクセス
暑い夏がやってきました。みなさん、お変わりありませんか。夏は私の好きな季節です。畑にはなす・キュウリ・トマトなどの野菜が繁っています。休日には朝早く起きて畑に行き、枝豆を数本抜いて帰り、さっと塩ゆでをしたものをあてにビールをクイッとやるのが楽しみです。
実は今年のゴールデンウィーク、ロンドンで仕事だったものですから、代わりに6月の中旬ギリシャに行って来ました。パソコンネタがまるっきりないものですから、今月はギリシャ旅行記としましょう。
6月のギリシャ旅行
女房はエジプトに行ってみたいと言っていたのですが、6月のエジプトというのはとても暑すぎますし、イラクにも近く危険というイメージがあったため、ギリシャを選びました。ローマ帝国とルネッサンスのイタリア、オスマントルコ帝国のトルコを回った後、もう少し古い文明の土地を選ぼうと言うことで、エジプトとギリシャが候補に挙がっていたのですが、6月のエーゲ海に憧れてギリシャのツアーを探したのですが、なかなか人が集まらないようでツアーの中止が多く、やっとひとつのツアーを見つけだすことができました。
ハードなスケジュールの始まり
6/12朝、関空10:25KLMで出発するツアーに参加するためには、朝一番の新幹線で関空に向かわなければならなかったのですが、ツアー参加メンバー達には関空近くのホテルに泊まった人もいました(関空近くのホテルでは、1泊した人には旅行中駐車無料を実施しているところがあると聞き、驚いてしまいました)。この日は関空−アムステルダム−アテネと飛行機の乗り継ぎばかりでしたが、ホテルに着いたのがアテネ時間の午前2:00、日本時間にすると午前8:00です。しかも、明朝は午前6:00起床というハードなスケジュールが始まりました。 実はギリシャではストライキが多く、観光シーズンであるにもかかわらず博物館・遺跡などが14日から16日までストライキにはいると言うことで、13日と14日の2日の観光日程を1日で済まそうと言うことになり、午前中アテネ、午後デルフィーの遺跡と強行軍で廻りました。朝早くには薄曇りであった天気は、アクロポリスの観光をしている途中から雲ひとつない天気に代わり、ギリシャそのものと感動したものの、その暑さに参り始めました。
アクロポリスの丘
アクロポリスに到着すると、まだ早朝のためあまり観光客はいませんでした。巨大なパルティノン宮殿の遺跡の前に立つと、これが紀元前500年に建立されたとは信じられない思いになります。始めてローマを訪れた18年前、ローマの街の中に西暦0年建立の様々な建築物が残されているのを見て驚いてしまったものでしたが、これがギリシャと言うことになると、もうひとつ古い時代のものと現代の建築物が混在しているわけですから、何とも奇妙な気持ちになります。アクロポリスの中にはいると最初に見えるのが音楽堂で、この音楽堂では今でも野外講演がしばしば行われているそうで、その日も音響装置や照明装置などが設置されていました。この丘から見渡せるアテネの大パノラマはなかなかの見物です。ガイドさんは色々説明をしてくれるのですが、歴史、建築物の構造などあまりに情報が多すぎて頭が混乱してきます。ただ、その景観の中に自分が立っているだけで充分です。私達がアクロポリスの観光を終わってバスの停車場所に帰ろうとすると、もう山のような人が丘に登ってき始めていました。早朝の観光もいいものです。
デルフィの遺跡
アテネ市内をバスで廻り、その後北のデルフィーの遺跡に向かって出発しました。来年のオリンピックに向けて市内は工事中のところが多く、バルセロナオリンピックの前年にスペイン旅行をした時のことを思い出してしまいました。アテネから北の向けてのバス旅行中、色鮮やかな花が道路沿いの咲き乱れ、ギリシャ神話の話が始まりました。デルフィは紀元前2000年頃からの神託の地として発達し、現存している遺跡群は紀元前6世紀頃からのものだと言うことですが、このあたりから神話と歴史が混沌とし始めてきます。昔は神話だと思われていたものが、実は歴史であったという事実を多く証明したのは、ミケーネやトロイを発掘したシュリーマンでしたが、ギリシャという土地に立つと、神々と歴史が混在した悠久を実感してきます。オディプス王の悲劇の話が残っているのもこの土地です。ゼウスが世界の中心を知ろうと東西に2羽の鷲を飛ばし、2羽が再び出会ったのがこのデルフィという土地の始まりで「大地のへそ」と呼ばれているそうです。神殿の奥に洞窟があり、その中で立ち上る煙を浴びた巫女が口走る言葉が神託として人々に指針を与え、その神託の御礼として多くの財宝が寄進され、多くの建造物などが建てられていたと言うことですが、現代のオカルト教団と変わらないじゃないかと思ってしまいました。こんなに文明が進歩した現在においても、意味不明な神託をありがたがる人々とそれで財をなす人達がいるという事実とこの神殿、なかなか興味深いものがありました。このデルフィには発掘されたものを展示している博物館があるのですが、オリンピック前の改修工事と言うことで一部しか解放されていませんでした。
メテオラの修道院群
翌14日にはデルフィより更に北に行ったメテオラという土地の修道院観光です。メテオラの修道院群は巨大な岩山の上にポツンと立つ修道院が、それぞれの山の頂上に並んでいるのですが、その景観はトルコのカッパドギアにも似ていますが、ヨーロッパ中世の修道院建設物が絶壁の上にあるのは見事なものです。世俗を離れて神に近づこうとした修道者達が、少しずつ物資を運び、山の上に修道院を建てたのですから驚きです。現在では修道院には電気が繋がり水道も引かれていますが、かっての時代は400mもの高さをモッコの人力クレーンで資材を運んでいたそうで、その構造物は今も残っています。007の映画で「悪の本拠地」として描かれた巨岩の上にぽつねんと立つ修道院は、まさに別世界の建物のようで、またまた人間の執念のようなものを感じてしまいました。
翌15日は本来ならデルフィの観光と言うことになっていたのですが、ストライキの影響で早めにすませた私達は、デルフィ近くのラミアと言う海岸沿いの街で久しぶりにゆっくり起床。海岸が近いと言うことで、ひょっとして泳ぐことができるのかとガイドさんに聞くとOKとのこと。海岸沿いの店を覗くと海水パンツも売っています。どこからどこをエーゲ海と呼ぶのかしれませんが、とにかくギリシャの海で泳ごうと、朝海岸沿いに歩くと5分ほどで砂浜を見つけました。ちょっと遠浅の海で、非常に透き通ったブルーが美しい。海には多くの小魚が泳いでいます。泳いでいる人は誰もいません。少し沖まで泳いでいくと、波がビロードをなびかせたようになめらかなものに変わり、海を独り占めした思いがしました。時間が経つとポツポツと泳ぎに来る人がいますが、それでも数人しかいません。何と気持ちがいい海なんでしょう。
クレタ島とミノア文明
昼頃、ラミアを出発してアテネに向かい、夕方にはクレタまで飛行機で飛びます。ギリシャ旅行のツアーは色々ありますが、クレタ島まで行くツアーはなかなかないのです。短い日程の中でクレタまで詰め込んでくれたこのツアー、日程がきついとはいえなかなかのものです。
朝からクレタ観光です。クレタの中心地イラクリオンは小さな街ですがなかなか賑やかで、郊外にはオリーブとビスタチオの農園が広がっています。このクレタの観光の目玉はミノア文明の中心、クノッソス宮殿です。考古学の世界ではミノア文明とクノッソス宮殿は、ギリシャ神話やホメロスの叙事詩の世界に出てくるフィクションと考えられていたのですが、シュリーマンのトロイ発掘の後、1900年にとうとうその存在が確認されたのです。このあたりがギリシャ観光の面白いところで、神話やフィクションと考えられていたものの存在が確認され、どこまでがノンフィクションでどこからがフィクションか分からなくなってくるわけです。神話ではゼウスとエウロベの子であるミノス王が統治していた国があり、その宮殿にはミノタウルスという頭が牛で身体が人間という怪物がいて、ミノス王はこの怪物をラピリントスという迷宮に閉じこめたという。紀元前2000年頃建てられたクノッソス宮殿は、幾度かの地震で崩壊し、その後何度か復旧されたそうですが、紀元前1400年頃に創られたと言われている遺跡には、迷宮のような小さな部屋が数多くあると同時に、太陽光の照明、排水などの近代的な建築構造物の概念が多く採用されていて、驚くほかありません。柱には巨大な糸杉が用いられていたと言うことですが、壁面には石を用いていたため現在でも遺跡が見えるわけです。このクレタ島には、クノッソスの他にも紀元前2000年頃の遺跡がいくつかあるそうですが、時間があればゆっくりとクレタで時間を使うのもいいのでしょうね。イラクリオンの街には考古学博物館もあり、多くの出土品が展示されています。年代毎に整理されている考古学出土品が、遺跡を見てきた後では非常に生々しく感じられます。夕方には飛行機で再びアテネに戻りました。
エーゲ海ミニクルーズ
明17日はアテネ自由時間を選択するか、エーゲ海の小島を巡るミニクルーズを選ぶかと言うことで、女房が行きたいというミニクルーズを選びました。朝出かける時海水パンツをカバンに入れていると、女房がそんな時間なんてないわよと言うのですが、チャンスがあるかもしれないと詰め込んでいきました。クルーズの船はなかなか大きなもので、通常6〜700名が乗るそうですが、その日はせいぜい300名程度、とてもゆったりしたもので十分にリラックスできました。出航すると甲板には多くの人が日光浴をしています。ヨーロッパ系の人達は日光浴が大好きですから、甲板で水着になっている人達も多いです。船はイドラ・エギナ・ポロスのアテネ近くの小島を廻るツアーでしたが、どこの港も観光客相手の土産物売り場が連なっています。小高い丘の上に上がり周辺を見渡すと、海は透き通るようなコバルトブルー、白い建物が海岸よりの急斜面に広がる風景はエーゲ海のイメージそのものです。2番目に寄港したイドラ島では、港を廻ったところの岩場を降りたところで多くの人が泳いでいます。洞窟の上からダイビングをしたり、岩の上で日光浴をしたり、若い人達が楽しそうに海水浴に興じています。船に乗った後、すぐに海水パンツに着替えていた私はみんなに交じって早速海水浴です。女の人のほとんどがビキニスタイルです。「ここに来たらワンピースの方が恥ずかしくなるのじゃないか」と女房に笑いかけましたが、泳がない彼女は笑っているだけです。岩場での海水浴ですから、泳げない人は無理です。女房は岩場から足を海に浸けては喜んでいました。最後の島は、エギナ島と言って少し大きな島です。そこにはアフェア神殿という、やはり紀元前5世紀頃の神殿があります。小高い丘の上に立っていて、古代ではこの神殿の明かりが航海の指針となったということですが、長い間森林に埋もれていたという話を聞き驚いてしまいました。この島はビスタチオの産地と言うことで、女房はビスタチオを買い込もうとしましたが、どんどん荷物が増えるのを少しでも防がなくてはと大変でした。
おまけはアムステルダム観光
ミニクルーズでアテネに戻った後、明朝の起床が2:30にも拘わらず、アテネ散策に出かけました。アテネの街は観光バスで廻っただけですから、何か外から触っただけという感じがしていたので、地下鉄に乗って繁華街まで出かけ、タベルナというギリシャの居酒屋レストランを探して食事を取りました。道路上に張り出したテラスで食事をしていると、花売り・ギター語りあげくの上に幼稚園ほどの子供がアコーディオンを弾いて席を廻ってきます。おいおい、小銭が無くなってしまうぞ。
アテネ発5:00のフライトでアムステルダムに飛び、そこで6時間のフライト待ちの後日本に飛び立つのですから、とにかく朝が早い。寝たと思ったらモーニングコールがなり、いつもならすぐに起きあがれるのがこの日ばかりは暫くかかってしまいました。アムステルダムに着くと8:30、日本へのフライト時間が14:25、この時間を空港内で過ごすにはもったいないとばかり、電車でアムステルダム観光に出かけました。2年前、女房を連れてアムステルダムには行きましたが、バスでの市内観光しかできなかったので、アンネの家とゴッホ美術館に連れて行ってやりました。もう少し廻ろうと思いましたが、遅れては他のツアーメンバーに申し訳ないとそうそうに引き上げましたが、ギリシャ旅行にアムステルダム観光までついて、女房は大満足。
6月のこんな時期に旅行ができるのは定年後しかないだろうなと思いながら、楽しい時間を過ごしました。さて、また明日からは仕事だ。