OMATSURIKOZO's talk salon


ランダムアクセス 2003年11月号
連載199

さらば,僕らのPC-9801
奢れるものは久しからずや

中国のパソコン事情は
僕らの9801時代を思い出させる
 


お祭り小僧のランダム・アクセス

 朝晩、めっきりと冷え込んできましたね。よく考えたらもう今年も後2ヶ月を残すところに来ていたのです。皆さんお元気にやっていますか。私も何とか元気にやっていますが、なにしろ冷え込んだ気持ちはなかなか起きあがれません。「株価が回復してきた」だとか、「景気は底入れした」とかというニュースが流れ始めていますが、庶民の感覚はなかなか「回復感」というものには至りませんね。

さらばPC-9801

 ということで、今月の最初の話題は「さらばPC-98」という話から。あの懐かしい「我らがPC-9801」が2003年9月30日をもって生産完了したというニュースを知りました。21年の歴史を閉じたと言うことを聞き、妙な感慨を憶えたものです。ということは私がパソコンに最初に触れてから21年も経ったということになるわけです。私がパソコンのことを何も知らずPC-6001を衝動買いした年の同じ頃、初代PC-9801が発売されたと言うことは憶えているのです。ああ、あれからもう21年も経ってしまったのだなと思うと、妙に自分の年齢を思い知らされるものです。「テレビゲームができるパソコンだぞ」と子供達に自慢した頃、長女はまだ小学1年生くらいだったと思います。その彼女はもう**才、あっという間の年月でしたが、想い出が走馬燈のように駆けめぐってきました。

あの熱かった頃が懐かしい

 PC-6001を衝動買いした後2ヶ月もしない間にPC-8801を買い求め、情報を集め、プログラムを雑誌から打ち込み、パソコンに大きな夢を見いだしたことを思い出します。PC-9801VMが発売されたときには、とうとう誘惑に負けてしまい、パソコンにどっぷりと浸かってしまいました。当時は、最新機種が発表されるのは年1度くらいだったので、次機種の発表が待ち遠しくて堪らなかったものです。思えばずいぶんとパソコン関係に金を突っ込んだ頃でした。ざっと考えても年間100万円近くパソコン関係に金をつぎ込んだものでしたが、それでも当時のパソコンの進化は私の頭が追いつく程度のもので、最新情報を集め廻ってはちょっと「裏」の遊びを楽しんだものです。もっとも今でも「裏」系の遊びは大好きなのですが、当時ほど「裏遊び」に時間を費やすことができなくなってきています。

何がPC-9801を追い落としたのか

 当時はPC-9801と任天堂ファミコンの天下が崩れるとは想像もつかなくて、せっせとPC-9801伝道者としてパソコンに興味を持つ人間達にPC-9801を薦めて廻ったものですし、伝道に時間を費やすことを厭わなかったものです。その圧倒的な人気に翳りが見え始めたのは、NECが80486CPUのマシンを出し惜しみし始めたところからです。「まだV30で充分売れている、そろそろ386か、まだまだ486」などと人気にあぐらをかいたまま、利幅の高い商品を売りつけようとしたツケがやってきます。遅いCPUに我慢できなくなってきた先進的なユーザー達がAT互換機に走り出してしまいました。NECの奢りは「もはやそうした過激なユーザーは要らない。大衆は現在のPC-9801に充分満足している」と自画自賛に酔ってしまっていたのです。確かにAT互換機ではNECとして従来のような差別化はできないけれど、先進ユーザー達の求めるものを作らなくなった陳腐な王様は「裸の王様」となったわけです。Windows時代となってしまった今、当然PC-9801の命運は変わらなかったでしょうが、最後の悪あがきに苦々しさを感じてしまうのは、私がPC-9801を、NECを愛していたからなのでしょうか。「奢れるもの久しからず」とはよく言ったものです。懐かしさと共に自戒を思い起こさせてもらいました。さらば、栄光のPC-9801よ。

Microsoftがトロン陣営と提携

 とはいえ、PC-9801を中心として日本のパソコンが発達した10年以上の年月が日本のパソコンを停滞させたわけではありません。着々と日本のデジタル技術を発展させてきたのです。先般、Microsoftがトロン陣営のユビキタス機器やデジタル家電向け標準プラットフォームに参加しました。MicrosoftのMS-DOSとTRON-OSは、かって日本のプラットフォームOSを巡って争ったことがありましたが、日米関税障壁と捉えられ、TRON-OSはパソコンOSとしては敗退してしまったことがあります。今回の提携をもって「TRONがMicrosoftに仇討ちした」というコメントもありましたが、当時のパソコン状況は日本のほとんどのパソコンがMS-DOSマシンであって、PC-9801はその代表的なマシンであり、弱者連合はTRONの力を借りてPC-9801を追い落としたかったという事情は忘れ去られています。パソコンOSとして花開かなかったからこそ、TRONは情報家電OSとして花開いていったのかもしれません。しかし、時代を経た後敗者復活戦で立ち上がってきたTRONというのはなかなか感じさせてくれるものを持っていますね。

パソコン技術がどんどん一般化して

 このTRONのように近年、私がつくづく感じるのは、パソコンから生まれた多くの技術がもはやパソコンという枠組みの中では留まっていられなくなったという思いです。携帯電話の急速な普及などはパソコンの普及の早さを上回っていますし、デジタルカメラの普及はとうとうアナログカメラを追い抜いてしまいました。こうした新しいものは、パソコンの普及無しには考えられないものだと私は思っています。インターネットももはやパソコンだけの世界のものではなくなり、私の女房もパソコンのメールは使わないけれど携帯のメールはどんどん使っています。なんだか、古くからパソコンと遊んできた私達なんか取り残されたような気持ちがするから不思議です。ビデオの代替え品として登場したDVDレコーダにはハードディスクがきっちりと付いていたり、もはや何も予備知識もないままに使える「便利なもの」として様々な道具がパソコン廻りの技術から生まれつつあります。ただ、こうしたものに昔は夢中になっていた私があまり熱くならないのは何故なのでしょう。振り返ってみると、「そこに物語が感じられないから」としか言いようがありません。「みんなが使うから私も使う」と言った非常に安易な功利主義に満ちた普及の仕方が蔓延していて、その誕生に「物語=ロマン」というものが私には感じられなくなってきたのでしょうか。

DVDコピーも当たり前

 いやいや、時代の流れが加速度的に速くなってきたため、「感慨」を噛みしめるまもなく「新技術」「新機種」が乱立し、それをまた多くのユーザーが貪欲に飲み込んでしまう様に圧倒されているだけなのでしょう。たとえばDVD記録装置の普及がそうです。CD-Rの普及には何年も費やしたにもかかわらず、DVD記録装置は規格が乱立したまま溢れるように巷に流れ出してしまいました。4.3GBと言う大容量のものをどのように使うのだろうと思っていたら、Divxのみならず市販のDVDのコピーが当たり前のようになってきました。1年ほど前にはアングラ系の雑誌等に「リッピング」「ライティング」の記事が声を潜めて「試してみました」なんて出ていたと思っていたら、今月号では「ASAHIパソコン」までDVDコピー特集を組んでいました。そこはそれ、「ASAHIパソコン」のことですから裏情報まで含んでのものではなく、市販ソフトを特集すると言ったものでしたが、もはやDVDコピーは一般的なものになってしまったのですね。「ASAHIパソコン」には「著作権とは何か」と言った小難しい話も同時に載せていましたが、市販DVDには片面1層4.3GBのものと片面2層8.6GBのものがあり、プロテクトがかかっているものもコピーは可能だと言った内容を載せていました。ここまで話が進んでくれば、かのPC-9801時代のゲームプロテクトとの格闘時代を彷彿させてくれます。

 1時代前の私だったら、とりあえず試してみなくては気が済まなかったでしょうが、今は「やり方」を書いた記事を一応読んで「うん、やろうと思ったらできるのだな」なんて処で止まっています。どうして止まってしまうのかと考えてみたら、「面白そうではあるのだが、時間がかかり過ぎる」というのが理由なのです。同じ映画を何度も何度も繰り返しみたいと言う人はさておき、私のように1度見たら充分と考える人は安いものは買えばいいし、レンタル屋で借りた方が時間の節約になると思ってしまうからです。誰もがやってないことには興味がわくのですが、こうまで一般化してくると鼻白んでしまいます。

中国パソコン改造事情

 ちょっと面白い記事を読みました。「アスキー」11月号に「中国IT”改造”事情」という中国のパソコン状況を紹介したものです。そこには私たちがパソコンに熱狂していた10年前を彷彿させるものがありました。パソコン初心者などを対象とした雑誌もあるものの、ほとんどの雑誌は少しマニアチックなもので、その内容はソフト・ハードの改造記事が多いと載っていました。Windowsのレジストリの改造や、Windowsの世界ではもはや私達が触らなくなってきたwin.ini、config.sys、autoexec.batなどが様々な形で改造できることを紹介していたり、ハードウェアに至ってはCRTモニターの分解修理についても書かれていたりしているそうです。まだまだパソコンを買う金が無い人達が多いことは想像できますから、やっと手に入れたパソコンを骨までしゃぶってやろうという熱い思いが伝わってきます。そう言えば、私達もそうだったと思い出します。パソコンの価格が非常に高く、それをとことん遊んでやろうという思いでたくさんの情報を集めては人と違った面白さを見いだそうとしたものでしたよね。最近のパソコンはカッコばかり綺麗になったものの、当時と比べると飛躍的に安くなりました。壊れたら新しいのを買えばいいのだなんて気持ちが堕落への第一歩だったのかもしれません。中国政府は、WHO加盟後海賊版取り締まりと国策とを兼ねて、AT互換機の基本OSとしてLinuxを推奨するだけでなく、メーカーにLinuxインストールパソコンの販売を薦めているそうですが、実際には海賊版のWindowsが再インストールされて使われているという話には笑ってしまいました。やはりMS-DOS*TRON戦争ではありませんが、お上の決める「国策」には庶民はなかなか乗らないものだと国は違えど頷いてしまいました。そのあたりのことを日本政府も考えてLinux運動を展開しないと日本の「国策OS」もうまく行きませんよ。しかし、中国の若い人達がどんどんパソコンに興味を持ち、少ない情報を集めながらハード・ソフトの奥まで潜り始めたのなら、近い将来には凄いマンパワーが出てくるでしょうね。今の私には、彼らのそう言った情熱にただ圧倒され、ある種の心地よさを感じてしまいました。

パソコンはもう「おもちゃ」でなくなった

 ちょっと話は変わって、私の会社のパソコンが次から次へとダウンしてしまい、とうとう新しいパソコンの導入とLANハードディスクを入れてしまいました。Windowsの調子が悪くなったのか、ハードディスクの調子が悪くなったのか確かめるのもめんどくさくなり、一気に新しくパソコンを購入してしまいました。廃棄したパソコンはCeleronの300MHz程度のものでメモリもせいぜい200MBしか入っていなかったものですから、あきらめは簡単につきましたが、問題は稼働中のデータをどう移動するかと言うことでした。幸い休日である土曜日、たまたま出勤したところ同じく休日出勤をしていた部下が「このパソコン、何度立ち上げても立ち上がらなくなってしまいました」というので、MS-DOS上からscanreg /restoreと打ち込んでレジストリの復元を図ってみたのですが、どうもうまく行きません。このパソコンの調子はしばしばおかしくなっていたので、さっそく決断して新しいパソコンを買ってくることにしました。だって、このパソコンのDドライブに仕事に使うほとんどのデータがあるわけですから、月曜日までに直しておかないと仕事になりゃしないわけです。そうこうしていると、LANに繋いでいる他のパソコンもおかしいというので調べてみたら、このパソコンにはワームがいくつも蔓延っている。こいつも何度もつぎはぎの増改築を繰り返した年代物のシステムですから、ついでに交換。共有のデータを独立させるのもいいだろうと我が家で試していたメルコのLANハードディスクも購入して事なきを得ました。これだけ買い込んできても昔のパソコン1台の値段にも成らない。けっこうな時代になったものですが、もうパソコンは「おもちゃ」でなくなったことを実感してしまいました。


returnreturn