OMATSURIKOZO's talk salon


ランダムアクセス 2003年12月号
連載200回

パソコンの普及を
支えてきた技術を振り返って

「ムーアの法則」「Windows」
「インターネット」を考えてみる
 


お祭り小僧のランダム・アクセス

 あっという間に12月がやってきました。過ぎてしまった年月というのは本当に早く感じられるものです。もっとも、これから先の年月がまだまだ長く感じれるのは「現役」の証拠と喜んで良いものやら、どうなんでしょう。年末の実感が湧かないと言うのは毎年の決まり文句ですが、一年の区切りを感じるゆとりが無くなってきたのか、社会の動きが私達をそのようにさせてしまったのかは分かりませんが、「慌ただしさ」のその先に「ふとした安らぎ」と言ったものを求めていた世代にとっては、今の「慌ただしさが日常」という世界になじめないものを感じてしまいます。結局、2000年という区切りさえかき消してしまう「今日の世界情勢」という怪物に翻弄されて、2003年も終わりを迎えようとしています。

パソコン歴史を振り返ってキーワードは

 今月は少し懐古趣味に入って、「お祭り小僧の選んだパソコン20年」というテーマで、単に1年を振り返るのではなく黎明期からのパソコン世界について書いていきたいと考えています。

 パソコン世界の出来事を思い返してみると、現在当たり前のように思っていることのほとんどが20年前には「夢」だと思われていたことですね。インターネットを通じて世界中の人と簡単にコミュニケートがとれるなんて事は本当に「夢」でした。当時はハム愛好家だけが楽しむことができていた世界が、誰でも簡単にもっと幅広く楽しむことができるわけです。CPUというハードの発明は、単純な計算機を越えて、私達の日常生活の隅々まで大きな生活革命を引き起こしてきています。

 このパソコン世界を振り返ったとき、私は3つのキーワードを思い起こします。そのキーワードは、「CPU、ムーアの法則」「GUI Windows」「インターネット」です。パソコン世界の成長は進化と普及が加速度的で、その成長の過程の中であまたの試行錯誤の末、累々とした屍の山を作り上げてきたことも事実でしょう。今日は、3つのキーワードを辿りながら少し想い出にふけってみましょう。

「ムーアの法則」

 「ムーアの法則」とは、米Intel社の設立者ゴードン・ムーア(Gordon E. Moore)が1965年に提唱した、半導体技術の進歩に関する経験則で、『半導体チップの集積度は、およそ18カ月で2倍になる』というものです。1965年と言えば、世界最初のマイクロプロセッサ「4004」が誕生する6年も前です。4004は、日本のビジコン株式会社からの電卓用LSIの発注がもととなってIntelで開発された製品で、Intelのテッド・ホフ氏とビジコンから派遣された嶋正利氏との共同開発のエピソードはよく知られています。Intelはその後、8bitの8008/8080を開発、'79年に開発された8088がIBM PCに採用されて以来、16bitの8086/80286、32bitの80386/80486(i486)、そしてPentium以降Pentium II/III/4と、PCの発展とともに新製品を発表し続けています。集積度とはICチップ上に集積されたトランジスタや抵抗などの素子の数を表します。この法則には理論的な論拠や技術的な裏付けがあるわけではないのですが、多少の差はあるものの、現在までのところは、おおむねこの法則に従って半導体技術は進歩していると言う事実は否めません。これを中途半端に聞いていた私は、これが半導体の集積度に関する法則であるにもかかわらず、マイクロプロセッサの性能は18カ月で2倍になる、と理解していました。つまり、集積度と性能は必ずしも比例するわけではないのですが、高集積化によるクロック周波数の向上などもあるので、おおもむねこれに近い比率で性能が向上していることから、かなり多くの人達に誤解を生んでいることも事実です。

 さて、こうしたマイクロプロセッサ(CPU)の加速度的な進化は、パソコンの性能を飛躍的に向上させただけでなく、工業製品の常ですが大量生産による大幅な価格低下で、パソコンが世界中に普及してしまったわけです。もうこれ以上はCPU性能の向上は必要がないし、技術的にも行き詰まるだろうと言う人たちもいましたが、どうやらインテルは将来のトランジスタ開発について、消費電力と発熱の課題を克服する新材料を開発し、ムーアの法則の有効性がさらに10年継続することになると発表しました。確かにどこかでこの加速度的な成長は止まるでしょうが、まだまだCPUの性能は向上するようです。

 このような「ムーアの法則」を支えたものは、技術者の善意によるものでも、物理学の法則でもなく、企業が技術者を駆り立てた結果と言えるだろう。もちろんマイクロプロセッサの生産はIntelだけが行っているわけではなく、Windowsエリアでは互換チップとしてAMDや他の企業も生まれてきました。MACに搭載されるチップも、モトローラからIBMまで色々変遷しました。当然、トロン陣営にも、その他ゲーム機にもCPUは存在します。しかし、ムーアの法則に到達できない企業は振り落とされてきたというのが厳然たる事実なのです。

 パソコン黎明期には、「あの石はエレガントだが、あの石はイモだ」なんて言う能書き言い達が多くいたものでしたが、それはチップの集積度がまだまだ素朴であった時代の懐かしい想い出に他なりません。瞬間風速の様に飛び出してきたサイリックスの互換8086でPC9801を改造したことも思い出しましたが、Intelの継続的な力には改めて感服してしまいました。しかし、サイリックスやAMDなどの互換チップ企業の登場こそが、Intelに活力を与えてきたのだと言うことも事実でしょう。これ以上の性能は必要ないという人達に、チップの高性能化こそがパソコンを使いやすいものにするのだと言うことを証明するのは、Intelの役割と言うよりもパソコンメーカーやソフトメーカーの役割となるでしょう。

グラフィックユーザーインターフェースの登場

 つまり、Windowsとインターネットの登場が、高性能化したマイクロチップの成果とも言えるわけです。30年前のユーザーインターフェースというのは、今から考えれば大変お粗末なもので、入力デバイスとしてパンチだとかテンキーがあるだけ、表示デバイスは計算機の表示より情けないものと言った有様でした。それが、現在のようなキーボードとマウス、表示ディスプレィにはテキストだけの表示からグラフィックまで表現できるものに変わっていったわけです(このインターフェースが最良かどうかは別として、これに替わるインターフェースの提案はまだありません)。このようなユーザーインターフェースの変化は、高性能化したマイクロチップが支えているわけですが、特別な人達だけが使うと思われていたコンピューターが広く多くの人達に使われるようになってきたのは、まさしくこのユーザーインターフェースの変化なのです。

 パソコン黎明期にパソコンに触り始めた人達にとっては、このユーザーインターフェースの変化は取っ付きにくいものという意識や、パソコン既得権が失われていくようなものとして受け止められたこともありましたが、時代の流れは止めようもありません。MACを作ったジョブスは、ゼロックス社のパルアルト研究所にあったグラフィックユーザーインターフェースに惹かれ、これを「リサ」に、そして「MAC」に導入したのですが、当時のCPUはまだまだ非力であったため、思いつきは素晴らしかったものの、大きな広がりには成りませんでした。PC9801ユーザーとMACユーザーの、今から思えばたわいない貶し合いが懐かしく思い出されてきます。現在のパソコンの未来形を作り上げたパルアルト研究所というのは本当に凄いもので、当時の技術水準とは違ったところで未来形を作り出そうとしていたわけです。それって、私達が子供の頃「鉄腕アトム」や「鉄人28号」に夢見たものと似ていて、ワクワクするものがありました。基礎技術レベルに合わせたものではなく、基礎技術の成長を前提として未来型を研究・提案するなんて、今は少なくなってきたとは思いませんか。MicrosoftのWindowsは、確かに成功していますが、それって未来形ではなくて、常に現在形そのもののようで、何か寂しいんですよね。Intelチップユーザーというのは、私も含めて「夢」に期待しながら非常に現実主義者の側面が強く、コストパァフォーマンスにうるさいので、なかなかMACには走らなかったのでしょう。

インターネット時代

 OSがテキストインターフェースからグラフィックユーザーインターフェースに変化した時期と同時に、インターネットが普及し始めました。20年ほど前、日本の電話関係の法律が変わり、電話線を利用して「パソコン通信」が流行り始めました。このパソコン通信は、扱える情報はテキストだけで、当時の通信速度は非常に遅かったものですから、いわゆる「オタク」アイテムのように思われることの方が多かったわけです。試験的にグラフィックの通信を試みようとしたところもありましたが、通信インフラはそこまで熟していたなかったため、広がりは一定程度のところに留まっていたわけです。ところが、OSがWindows時代になった頃、学術用に用いられていたインターネットにグラフィックブラウザという概念を持ち込み、モデムの高速化と相まって新しいパソコン通信が始まったわけです。長い間「パソコン通信というのはこういうものだ」と言う概念に固まっていた私は、インターネットというパソコン通信は、グラフィックを可能にした従来型のパソコン通信だと勘違いをしていました。たまたまアメリカの友人を訪ねたとき、彼の家でインターネットを体験させてもらったところ、「これは従来のパソコン通信ではない」と啓示のように感じたことを思い出します。

 10年にもならない昔、24時間繋ぎっぱなしにしてインターネットを利用する日が来るなんて想像もできませんでした。当時のアナログモデムはまだまだ非力で、2400bpsが限界だなんて言われていましたが、ISDNデジタルから再びADSLアナログ、あるいはケーブル・光などとんでもないスピードでインターネットに接続できるようになってきました。

パソコンはおもちゃでなくなった

 どうもこの転換がパソコンを「おもちゃ」から「道具」へと変化させてしまったようです。パソコンを大人のおもちゃだと思っていた私にとって、インターネットの黎明期までは「素晴らしいおもちゃ」と思っていたのですが、最近の「パソコンの道具化」にはうんざりしてきているのです。パソコンを仕事に使えるというスキルが運転免許と同じように捉えられ、「家に帰ってまでパソコンなんか使えるか」という雰囲気に、パソコンを「遊び道具」と思っていた私は鼻白んでしまうわけです。

DVD-Rは今、旬のおもちゃだ

 この1年で、DVD関係が花開いてきましたね。このDVD関係こそが今残されている「おもちゃのパソコン」の世界かもしれません。本屋に行ってパソコン関係の棚を見ると、「リッピング」「コピー」「DVD-R」と言った見出しが飛び込んできます。私の友人達もこうした遊びが大好きで、色々と情報というかテクニックを教えてくれますが、この遊びは時間がかかりすぎてしまい、どうも私は苦手なんです。DVD-ROMが登場したとき、いずれはビデオに変わってしまうものだとは思いながら、レンタル屋は少ないし、まだまだ先だろうと思っていました。ところが一度DVD-ROMの画像を見たら、これは素晴らしい。ソフトの値段がどうなって、ハードの値段がどうなってなんて考えているうちに、あっという間にDVD-ROMは当たり前の世界になってしまいました。パソコンに接続するDVD-Rの普及はまだ先かと思っていたら、これも1年で完全に普及してしまいました。リージョンコードの解析が功を奏したのか、CD-Rレコーダーの生産技術が成熟していたのか分かりませんが、開いた口がふさがらない間にDVD-Rレコーダーの価格は下がってしまいました。4.7GBの容量を何に使うのだなんて言っていたら、きっちりと映像情報というデータを取り込んでしまいました。DVD-ROMのコピーというちょっと非合法のものもあるでしょうが、だいたい少し不健全な目的から新しい機器は普及していくものです。ビデオ、パソコン、インターネットとエロは付き物だったわけですし、コピープロテクトとプロテクト解除も同様です。DVD関係は現在残されている最後の「おもちゃ領域」ですが、これがいつまで続くんでしょうか。

 ではよい年をお迎え下さい。


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