北京で知り合った若いガイドは
日本のマンガファンだった
お祭り小僧のランダム・アクセス
あっという間にもう年末です。「今年は何か思い出に残るようなことをしましたか」と聞かれたとしても、一瞬戸惑ってしまう自分を見つけ、思わず苦笑いをしてしまいそうです。そう、一年一年に大きな節目が無くなり、流されていくように一年が過ぎていく年代になってしまったようです。先日、私のホームページも丸10年が経ちましたよと言われ、「もうそんなに」という気持ちと時代の移り変わりの早さに驚いている気持ちとが混じり、妙な感慨を持ったものです。
もうあと数年もすれば60歳。本来なら定年となるのでしょうが、年金支払いを引き延ばしてきた政府は我々に65歳まで働けと言い出してきています。昔あまり泳ぎが得意でなかった私が、やっとの事で25mプールの端まで泳ぎ切れるぞと喜んでいたら、急に「もう一ターン」と言われ、思わず水を飲み込んでしまったような気がします。元気なうちは働き続けた方がいいよと言う高齢者の忠告も聞こえてきますが、責任を持ち続ける仕事を60歳以上まで続けようと思うのはなかなかしんどいことです。先日、仕事の取引で20年以上つきあいのあった人が62歳で亡くなってしまいました。周りを見回すと60歳辺りで亡くなっている人が多くいます。やっとこれから自由な時間がもてるようになると思っていたら、自由な時間は天国でしたよなんて悲しいではないですか。やっぱり適当な時期には企業戦士はリタイアして、元気なうちでないと出来ない個人的なことをしたいものだと思ってしまいます。
中国の白酒は驚くほど安かった
さて、先月号に書きましたが西安・北京に夫婦で旅行してきました。両都市とも町中に建設用のタワークレーンが乱立していて、そのたくましいほどのエネルギーに圧倒されてしまいました。西安は今では地方都市となっていますが、始皇帝の秦や隋・唐の都であったところで、日本で言えば奈良・京都といったところでしょうか。古い城壁とビル街が同居する面白い町です。ちょうど「島耕作」が西安・北京を舞台にしていて、漫画で旅行を振り返っています。最近中国への航空便には酒の持ち込みが禁じられていると聞きました。関西空港の免税店で聞くと、国際線だけなら問題はないでしょうが国内線では問題になるかもしれませんということ立ったので、今回は恒例の寝酒ウイスキーを買わずに出発しました。西安のホテルについて、やっぱり寝酒が欲しいと女房とホテル近くをうろつき、小さな雑貨屋を見つけました。奥の棚にはどうやら酒らしいものを置いているようなので、物を指さしながら注文しました。中国の焼酎で「白酒(パイチュウ)」と言ったものでしょうか、アルコール濃度50%と表示されていました。100元を手渡すと、ちょっと怪訝な顔をしながらおつりを返してくれました。数えると94元です。500mlで約90円です。つまみのピーナツを2元で求め店を出ましたが、女房が「そんなお酒、本当に大丈夫」と心配そうな顔を向けてきました。コウリャン独特の匂いのする焼酎で、取り立ててうまいともまずいとも思わなかったものの、アルコール濃度の強さは大変なものです。中国の人はこれを生地のまま飲むと言うことですが、私は水で割って飲むことにしました。これでやっと安心して寝られる、ほんにアル中かいな私は。
兵馬俑に感動
翌日は秦の始皇帝陵、兵馬俑、長安城内の見学でした。期待していた兵馬俑は実物に圧倒されてしまいました。等身大に作り上げられた兵士が今にも行進を始めようとしている様は、ただただ驚くばかりです。日本でも数体の展示が何度かありましたが、土の中に並んでいる塑像群はまさに沈黙の軍隊と言ったところでしょうか。昼食に寄った食堂の前に、複製を作っている房があり、ちょっと覗いてみることにしました。小さな複製から等身大のものまで色々製作していて、その工程を説明してくれました。なかなか上手な日本語で説明してくれる女の人に付いて工房を廻っている内に、つの間にか広いショッピングの中に案内されていました。彼女は言葉巧みに女房に翡翠のネックレスを勧め始め、女房はとうとうネックレスとイヤリングを買ってしまいました。商魂たくましい中国人女性にこれまた感動してしまいました。
フランス人とワイン談義
夜は唐の時代の宮廷で演じられていた唄や踊りのディナーショーがありましたが、会場内はほとんど西洋人です。西洋人は日本でも京都を好みますが、西安は人気があるのでしょうかね。テーブルを囲んだ席で、同席したのはドイツ人の女性2人でした。彼女たちが白ワインを注文していたので、私も釣られて赤ワインを注文してしまいました。80元、1200円でしたから手頃です。餃子のディナーショーと言うことでしたが、ガイドが1時間のショーの後、3階で食事ですと言ってきたので、赤ワインは残して食事まで持っていくことにしました。今度の席でも外国人夫婦と同席です。私の赤ワインを見て、「それは中国ワインですか」と聞くので、ラベルを見て「そうです」と答えたところから少し会話が始まり、フランスのパリから来たという彼らに中国ワインを勧めました。フランス人に中国ワインを勧めるのもどうかと思いましたが、「悪くない」という彼らに、私の友人のオランダ人は毎年フランスにワインを購入に出かけているという話をしました。彼らはそのオランダ人はどこに買いに行っているのかと聞いてきます。ああ、彼らにとってはワイン=産地という認識なんだと直感したわけですが、私にはそんな知識がありません。「分からない」と答えた後、中国と日本の微妙な関係について質問してきました。日本人の半分は中国が嫌いで、半分は好きなんだと答えた時、私は「hate」を用いたら、横から女房が私を突っついて小声で「hateはきつすぎるから、こんな時はdon't likeを使いなさい」とお節介を焼いてくる。だんだんうち解けてきた後、最後の餃子が運ばれてきて、スープの下のランプにも火を付けてくれました。「これは多分このスープの中に餃子を入れて食べるのだ」と話し、私の餃子をスープの中に入れた途端、給仕係の女の人が飛んできて「No! スープに入れて食べるものではない」と言います。ちょっとばつが悪かった私は、「これでフランスに土産話のひとつが出来たでしょう」とジョークで逃げ出しました。
京劇観劇
北京に戻った夜、頼んでおいた京劇のショーの予約が取れたとガイドが言い、食事の後京劇を見学しました。日本語でショーの案内をしてくれるイヤホンを頼み見学をしたわけですが、動きの少ない劇は少し退屈だったけれど、さいごの劇は立ち回りの多い劇で「ハッ」というかけ声を何度もかけて楽しみました。若い男性のガイドは「中国でも若い人はあまり京劇は見ません。楽しかったですか」と聞いてきましたから、「日本の歌舞伎と同じですよ」と答えたものでした。
中国の故宮は壮大な建物だ
翌日は天安門広場から故宮見学で始まりました。中国の気温はもっと低いかと思っていたら、日本と同じ位で上着をちょっと羽織ってちょうど良いと言ったものでした。天安門広場の前には中国の田舎から観光にやってきたと思われる集団がたくさんいて、人民服を着ているわけではないのですがはっきりと中国人と分かります。どこか服装にあか抜けてないところがあるのです。昔日本の観光客が「農協さん」と呼ばれていたのがこれだったのでしょうね。台湾でも故宮がありましたが、その故宮は蒋介石が台湾に逃げる時持ち出した宝物殿でしたが、こちらは紫禁城そのものを見せているのです。さすがに広い。故宮のような建築様式を持った建物というのは韓国の王宮もそうでしたが、規模が断然違っています。「近隣の国からやってきた使者を驚かす、コケ脅かしさ」なんて悪口を言いながらも、その偉容には感嘆してしまいました。
やっぱり万里の長城
午後からは万里の長城見学です。北京から高速道路を1時間以上走ったところだそうです。北京の街はスモッグのせいなのか、薄曇りのせいなのか全体に視界が悪く、遠くは薄ぼんやりとしていましたが、万里の長城近くの山に近づくと山々の背がくっきりと見え始めてきました。地道に降りて山道を走っていると山の背に所々長城の姿が見え隠れてきます。あんな山の上にどうやって石を運んだのだろうと言う思いに駆られます。見学できる場所はいくつもありますが、有名な観光地に行きますとガイドは言います。着いた場所は城門が長城に付けられたところで、大きな広場には観光客と店が並んでいます。1時間後にここに戻ってきてくださいとガイドに言われ、私達は長城を登ることにしました。数百メートル毎に小さな楼閣が造られているのですが、その間は階段のように急な坂も多く、「おいおい、歳をとったらとてもじゃないがこんな坂を歩けないぞ」と言っていたら、足の悪い中国の老婦人がよっこいしょよっこいしょと登っているではありませんか。うーん、長城を登らずして死ねんということかと感心してしまいました。幅が5mもあろうかという長城は人で溢れ、見上げると山の背を延々と続く長城が展望され、その不思議な景観に息を弾ませて歩きました。「こりゃどこまで行ってもきりがないよ」と引き返し、絶対権力の存在した中国の歴史に感嘆してしまいました。
中国料理のボリューム
夜、噂の北京ダックの店で食事をしたわけですが、店内で切り分けるのを見せてテーブルに運ばれます。期待していた割には美味しいものではなく、これをどうしてみんなが美味しいというのか分かりません。それにしても中国に旅行するととにかく料理のボリュームが凄い。とてもじゃないけれど2人で食べきれる量ではないので、残すことに決めたわけですが、ガイドに言わせれば日本人向けには量が少し少なくしていると言うことだから、またまた驚きました。彼らの食習慣の中には客には食べきれないだけの量を出さなければならないと言うものがあるらしく、これはもったいないから食べ残しを持ち帰れと言う奨励を政府が薦めているとのことでした。
市内散策
食事の後、夫婦で北京一の繁華街である王府井(ワンフウジン)を散策することにして、ホテルから歩いて地下鉄に向かい、王府井の歩行者天国を楽しみました。表通りは綺麗な店が並んでいますが、ちょっと裏通りにはいると東アジア特有の露天が並んでいて、その猥雑さに面白みを感じてしまいます。ちょっと冷やかしてやれと彼らにかまうとなかなか離してはくれません。香港の女人街やソウルの夜店などの雰囲気と似たものがあり、日本の夜店よりはもっと猥雑で楽しいものです。表通りには10元ショップが何軒かあり、日本のバーゲンテーブルのように訳の分からないものが山積みされていました。
最後の日は北京の旧市街の住居街、胡同を人力車で散策しました。モンゴル人がやってきた時に造られたというこの街は、中庭を囲んで四角な部屋構成となっている四合院という住居群があり、一軒の四合院を見せてもらいました。中庭には庭木やひょうたん棚が造られていて、三世代で住んでいると聞きました。この地域が保存地区のため、政府が修理費を補助してくれると言うことで、あちこちでオリンピックに向けて修繕されていました。北京の中心地にある住宅群ですからとても地価が高く、先祖から住んでない人には手に入らないと言うことでした。最後に案内された国士監という昔の大学では、科挙の試験での巧妙なカンニングの資料まであり、古今東西人間の考えることの共通性に笑ってしまいました。
日中友好にマンガや映画
空港まで送ってくれる途中、若い男性ガイドと王府井の書店の話から、彼が日本の漫画に興味を持っていることを知り、「家の旦那も漫画をよく読むの」と女房が話したことから話が弾み出しました。中国版の日本漫画が発売されるのは時期がずれるので、彼は王府井の書店の洋書コーナーで立ち読みをして、新しいものを読んでいると言います。彼のお気に入りは「ジョジョの奇妙な冒険」だそうですが、その他にもたくさんのマンガ作家を挙げてきます。色々話を聞いていると、彼の友人がマンガのスキャナをして、彼はその翻訳を手伝い、どうもインターネットで配布していることを知りました。そんな彼らにとっては、反日運動なんかは他人事のようで、マンガ文化が親日にどれだけ貢献しているかと言うことを改めて認識したわけです。先日高倉健さんの中国ロケのドキュメントがNHKで放映されていましたが、その中で中国の多くの人達が抗日戦争の映画で日本人がどんなに野蛮かという認識を持っていたけれど、高倉健さんの「遙かなる山の呼び声」を見て少し認識が変わり、じかに健さんと会って日本人に対する気持ちが変わったと言っているのを見た時、映像文化の影響の大きさを感じてしまいました。インターネットがこれだけ普及した現在であって、それを利用して国民を嫌悪の方に導くのか、好意の方に導くかはその情報次第です。その情報というものが単純な文章よりも、芸術性(人を感動させる何ものかを持つ)のある映画やマンガなどで親近感を高められたら素晴らしいことだと実感したわけです。敗戦国であった日本人が敵国のアメリカに好意を抱いたのは、多分アメリカ映画であり、TVドラマだったに違いありません。インターネット上でマンガや映画が流れ出すことに恐れを抱いている著作者達の言い分は分かりますが、溢れ出す情報の中に互いの人間性がにじみ出すような文化が含まれることによって、自己中心的な排斥運動が阻止できたらいいなと思ってしまいました。